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福島の地で地産地消の電力供給を目指す

 福島県は東日本大震災の発生と原発事故を経て、再生可能エネルギーの導入目標量(県内エネルギー需要に対する割合)を、2020年に40%、40年に100%にすることを掲げている。電力の小売りが今年4月から完全自由化されるが、その福島県で地産地消の電力供給を目指して東北初の小売事業者登録を受けたのが須賀川市の須賀川瓦斯㈱(橋本良紀社長)だ。

同社の電力事業を統括する副社長の橋本直子さんは、震災を機にロンドンから帰国。「エネルギー先駆けの地・福島で、地産地消の電力供給を継続事業にすることで地元に還元していきたい」と語る。

 

橋本 直子(はしもと なおこ)

福島県須賀川市出身

2001年 立教大学観光学部入学

2005年 立教大学観光学部学士号取得

2006年 ロンドン大学入学

2007年 ロンドン大学修士号取得

2008年 英国ルイ・ヴィトン社入社

2011年 須賀川瓦斯株式会社入社 取締役副社長

現在に至る

取材・文/大川原通之

写真/小林伸司

地元に必要なものを提供するスピリットが根底に

「先日はいわきのおばあちゃんから、お手紙を頂きました。地元は原発でダメになり、須賀川瓦斯から電気を買いたいと。東北電力管内の新電力の料金を見ると15アンペア、20アンペアといった小さい容量の方は料金的にはメリットが出にくくて、このお客様もうちに切り替えるとかえって料金が高くなってしまう見積りでしたが、太陽光発電所を100カ所開設予定で今後も増やしていくことや、これから小水力発電などもできるだけやっていく予定だということを資料もつけてお送りしました。料金が高くても変更したいというお客様もいらっしゃるかもしれませんから」

須賀川瓦斯は昨年4月には高圧の電力供給事業をスタートし、現在、須賀川市の体育施設等に電力を供給している。社員はおよそ200人。

電力小売り全面自由化に向けて昨年から勉強会を週1回、最近は週2回開催している。経理や受付の社員でも説明が出来るように準備を進めているそうだ。

同社は1954(昭和29)年の創業で、地元でLPガスの販売をはじめガソリンのサービスステーション(SS)などを展開。現在は、薬局やフィットネススタジオ、酒の小売りなども展開している。酒屋では米やみそなどの生活必需品も扱っている。

これまでにはファンシーショップやスーパー、宝石店なども手掛けてきた。SSについても、地域のニーズに応じてエリアの変更による出店閉店を行ってきている。

「地元のお客様が必要なものを出来るだけ提供していくスピリットが根底にはあって、来てほしいと言われればすぐ駆けつける姿勢の会社です」

そのため、電力の小売りへの参入に関しても社内では、「いつもの」と言う感じの受け止め方だったようだ。

2.6メガワットの発電容量を誇る棚倉堂ノ沢発電所
2.6メガワットの発電容量を誇る棚倉堂ノ沢発電所

エネルギーを使用する設備機器は現在では高効率高性能になっているためエネルギーの必要量は以前より少なくなっている。自動車もハイブリッドが増え、今後電気自動車も増えると、ガソリンの需要もますます減少していくのは間違いない。そもそも人口が減ってきている。

「自分がガス屋だと定義してしまうと商機が無くなってしまうので、自分たちが取り組めることは、いつもいつも考えています。エネルギーの供給業だということは基本にありますが柱をいくつも持っていないと。社員とその家族もいるわけですから」

電力販売のエリアは、受給管理する観点から東北に限定。

「原点に立ち返れば福島で深堀りするべき」と考えているものの、顧客企業の中には本社は福島でも青森に事業所を持っている場合もあるため、東北というエリアを設定したという。

現在は自社の太陽光発電による電力に加え、足りない分はJPEXから調達。将来的には県内の水力発電による電力も加えていく考えだ。3月には郡山に約2メガの太陽光発電所を開設した。土地は福島県が3年ほど前に県民から募集してリスト化したものに手を挙げた場所で、同社の太陽光発電所としては76カ所目(約15MW)。すでに100カ所以上の開設の準備はできているという。

太陽光発電所の場所は自社の土地のほか、「ガスのお客様など地元の方が提供してくれたことも多かった。結構みなさん山を持っているんですよね。『おれげの山使って』という感じで(笑)」

とはいえ、冬には積雪がある福島の地。大雪のある会津地方での太陽光発電所の開設は困難だ。パネルの角度も研究し、11~13度で設置している。須賀川市は積雪量が70センチと言われており、積雪量によって角度を高めて滑り落ちやすくするなどしているものの、滑り落ちればパネルの下の部分に雪が溜まってしまう。

 

地域の景観ともマッチする鏡石旭町第一太陽光発電所
地域の景観ともマッチする鏡石旭町第一太陽光発電所

太陽光発電による電気はすべて小売りに充てているが、この冬は日射が出ていても雪が落ちないために発電していない日が2、3日続いて、JPEXから調達した。

「いわきのおばあさんのように『原発以外の電力を』と、お問い合わせいただいたお客様もいらっしゃいますし、再エネ100%を目指したいんですが、安定した供給は図らなければなりませんから」

だからこそ水力発電による電力も加えたいのだと語る。

「水力発電が出来そうな場所は福島県内にはたくさんありますし、水力は再エネでは一番安定しているので、将来的には自社でやりたいという思いはあります」

福島県はまた面積の7割を山林が占める。そのため、バイオマス発電についても関心を持っている。小さい容量のシステムを導入できないか、あるいは県内のバイオマス発電所と連携できないかなど、常に模索している。福島県内も例えばペレットの製造・利用など木材の多様な活用が出来れば木材資源をもっと有効に使用できる可能性はある。

「偏りなく、太陽光のほか、水力もバイオマスもあるととてもいいのですが」。

震災きっかけに英国から福島に帰国

 5年前まで英国ロンドンに住んでいた橋本さん。2011年の3月は、ロンドンの友人が日本に来たいということで一緒に日本に帰国していた。

3月11日はその友人が帰国するため成田空港に。ちょうど須賀川瓦斯の橋本良紀社長がベトナムに出張することになっていたため、橋本さんも同行するということで、3人でお茶をしていた時に地震が発生した。

社長はタクシーを一台捕まえて13時間かけて須賀川になんとか戻ったという。橋本さんは成田に一泊して取り敢えず友人を送り出し、2日後に羽田からの臨時便で須賀川(福島空港)に帰宅。そのまま須賀川で復旧作業などを行っていた。

橋本さんは2011年の1月にそれまで働いていた会社を退職し、次の就職を考えていた時期だった。日本に帰国することは考えていなかったという。しかし、「ガレキを片付けながら、これは福島に戻らなければいけないなと思いました」。3カ月ほどたち水道が復旧した段階で一度ロンドンに戻って荷物を整理し、日本に帰国。家業の須賀川瓦斯に就職した。「最初は、ハイオクとレギュラーの違いも分からなかったんです(笑)」と笑う。そもそも日本での大学生時代は観光分野を専攻。

「観光って良いとこどりじゃないですか。それがどういうふうに経済に反映されるのかに興味があった」という。その後、ロンドン大学に留学。

ここでも例えば、アフリカ諸国で行われているナチュラルツーリズムなど自然に頼った観光が、どれだけ地元にお金が落ちているのかといったことを、研究にまとめていた。「それが貧困の撲滅や都市の発達だったりと非常に関わっていて、その辺が自分の好きな分野だったので」。アフリカでは実際に地元の高級ホテルの近くの湖で漁師に「今日はどれぐらい獲れましたか」と取材したりしたそうだ。

卒業後は、クラスメイトも国連やIMFで働く人が多かった。「家業を継ぐことはまったく考えていなかった(笑)」という橋本さんはNGOや企業でもCSR関連で働くことを希望していたそうだが、ちょうどリーマンショックの時期と重なったこともあり、なかなか難しかったようだ。

そんな時、ふと「バッグを見てかわいいなと思って。こういう会社でもヒューマンリソースはあるなと思って、全然関係ない私の履歴書をルイ・ヴィトンに送りました」

採用となり、ロンドンの店舗で働いたあと、アクセサリー担当となってパリ本店などとやり取りする日々を送ることになる。

ルイ・ヴィトンはLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランド。LVMHはコニャックやシャンパンなどの酒類のモエ・ヘネシーなどいくつものグループで構成されるが、当時、ルイ・ヴィトンはLVMHの売り上げの4~5割を占めたまさに最盛期の頃。世界最高峰のファッションブランドの、ありとあらゆるラグジュアリーの方法やカスタマーサービス、クライアントのリレーションシップなどに触れることになった。

そんな中でも、橋本さんはCSR事業を提案するなどしたが、なかなか採用されなかったそうだ。

だが例えばルイ・ヴィトンも、サザビーズのオークションに有名なバイオリニストのバイオリンケースを作って出品することで基金を募るようなスキームがある。街中に飾ったオブジェに有名なデザイナーやアーティストが色や絵柄を付けて、それをオークションにかけて寄附を募るといった活動もあり、「とても勉強になった」という。

継続的なスキームが地元還元につながる

 震災後、被災した福島の土湯温泉ではアーティストレジデンス(芸術家を一定期間ある土地に招聘し、その土地に滞在しながら作品を制作してもらう事業)「土湯アラフドアートアニュアル」を行っており、「私も見に行ってああいいなあと思っていました」。

当時、橋本社長が、「福島市の花見山公園にたくさん画家を呼んで絵をかいてもらって山のようにしたらどうだろう」という話をしていた。

それならアーティストレジデンスをやればいいのではと考えた橋本さんが思い浮かんだアーティストが、ロンドンで知り合った世界的な靴職人、ジミー・チュウ氏だった。

ロンドンに住んでいるジミー氏に早速連絡したところ、会津木綿や川俣シルク、会津漆器など福島の地元の素材で靴を製作してくれることになった。

 

福島を訪れた世界的な靴職人、ジミー・チュウ氏
福島を訪れた世界的な靴職人、ジミー・チュウ氏

また、ジミー氏はマレーシアの観光大使でもあったことから、マレーシアからの公式訪問ということで、県内各地を訪れ、地元の若者やアーティストを招いた講演会なども開催した。

ジミー氏が福島を訪れ福島の素材で靴をつくった様子は、AFPを通じて世界中に配信された。一方、地元メディアでは報じられたが、それ以外の日本国内ではあまり報道されなかった。

「その時、国内の福島に対する認識と、福島県民の福島に対する認識と、海外の福島に対する認識がまったく異なる。ものすごくギャップがあると感じました。今でもそういう面はある」

 

ジミー氏が福島の素材でプロデュースした靴が世界的な話題に
ジミー氏が福島の素材でプロデュースした靴が世界的な話題に

このイベントは1回限りだったが、「やってみて思ったのは事業にしなければだめだなということ。出来るだけ継続的に出来るスキームを作らなければ、地元に還元できないということは勉強になりました」と語る。

現在は、子どもを対象にアートプログラムを開催している。特撮の神様、円谷英二氏の出身地ということでウルトラマンのイメージが強い須賀川市だが、実は、北斎などにも影響を与えた亜欧堂田善という江戸時代後期の洋風画家・銅版画家の出身地。 

そのため、市内の小中学校では版画が非常に盛んなことから、現代版画展を開催している一般社団法人CWAJ(カレッジ・ウイメンズ・アソシエーション・オブ・ジャパン)や多摩美術大学の先生などとともに、子どもたち30人ぐらいとアートプログラムを行い、今年で3回目になる。

 

 

地域住民のみなさんにわかりやすく電力のスイッチを支援!(ウェブから抜粋)
地域住民のみなさんにわかりやすく電力のスイッチを支援!(ウェブから抜粋)

継続的な事業という意味では、電力の小売を事業にするということも、まさに地元に継続的に還元するということにつながる。須賀川瓦斯では電気事業参入にあたり、社員を一人増やして受給管理を担当してもらっている。切り替え作業担当としてさらに一人増やす予定で、少しでも地元での雇用を増やしていきたいと考えている。

「地元でどれだけ回すか、どのようなまちづくりをしていくか、大学で学んできたことと微妙にリンクしてきているように感じています。エネルギー事業が地元の根幹な部分で、そこから派生して、どのように生活していくか、そこで暮らす人たちのことを考える。とても勉強になっています」

来年にはガスの小売りも完全自由化も控えている。福島県のガス利用は現在もプロパンが主流。

また、ボイラーを利用している家庭も多く、灯油の配達などもあり、エネルギー会社は一般家庭と接することが身近な存在でもある。

それだけに、東北管内で電力小売り自由化に参入した唯一の地元企業でもある須賀川瓦斯に掛かる期待も大きい。中央のガス会社の進出も取りざたされるが、同社は地元企業と共存共栄して、地産地消の継続的なエネルギー事業にしていきたいという。

須賀川瓦斯ホームページ

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