パリ協定で気候変動アクションは新たな段階に 求められるのはトランスフォーメーション<1>

 フランス・パリで昨年末に開かれた第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で、気候変動に対する国際的な新たな枠組みとして、いわゆるパリ協定が採択された。

産業革命前からの世界の平均気温上昇を2度未満に抑え、さらに1.5度未満を目指すことや、主要排出国を含むすべての国が削減目標を5年ごとに提出・更新することなどが盛り込まれ、気候変動アクションは新たなステージに入った。

しかし日本では、大きく関心を持たれているとは言い難い状況だ。

COP21を取材した国際基督教大学(ICU)の毛利勝彦教授は「必要なのはイノベーションではなく、もはやトランスフォーメーション」だという。

ICUが掲げるリベラルアーツ教育のように、自然科学、人文科学、社会科学の境界を越えた取り組みが、これからの持続可能な社会の実現には重要だと語る。

毛利 勝彦(もうり かつひこ)

神奈川県茅ヶ崎市出身。

カナダ・カールトン大学大学院政治科学研究科博士課程修了、政治学博士(Ph.D.)。

松下政経塾第4期塾生、JICA職員、国際大学大学院講師、横浜市立大学助教授を経て、

国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科教授(国際関係学)。

取材・文/大川原 通之

写真/織田 紘

バックキャスティングという考え方 浮き彫りになった「時間観の転換」

2015年はピボタルイヤー(pivotal year)と言われた。ピボット、つまり転回の年。

2015年9月に国連総会でSDGs(持続可能な開発目標)が採択された。17のゴール※が掲げられたが、その一つが気候アクションであり、それがパリ協定と重なっている。

 

※ SDGs17ゴール 

①貧困の撲滅、②飢餓撲滅、食料安全保障、③健康・福祉、④質の高い教育、⑤ジェンダー平等、⑥水・衛生の持続可能な管理、⑦持続可能なエネルギーへのアクセス、⑧包摂的で持続可能な経済成長、雇用、⑨強靭なインフラ、産業化・イノベーション、⑩国内と国家間の不平等の是正、⑪持続可能な都市、⑫持続可能な消費と生産、⑬気候変動への対処、⑭海洋と海洋資源の保全・持続可能な利用、⑮陸域生態系、森林管理、砂漠化への対処、生物多様性、⑯平和で包摂的な社会の促進、⑰実施手段の強化と持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップの活性化

 

パリ協定でこれまでと大きく変わった点として、毛利教授はまず「バックキャスティングと言う考え方」を挙げる。

「フランスの哲学者のデュピュイは『賢明な破局論』を唱えています。将来に破局があるとした上で、それを避けるために賢明な選択が必要だと考えています」。

ローマクラブの成長の限界との類似を指摘する人もいるが、「成長の限界」は、過去から現在、そしてこのまま進めば限界が来るとするフォアキャスティングだが、「賢明な破局論」は先に破滅があってそれを避けるために今何をすべきか、と逆向きの流れで考える。バックキャスティングの考え方はミレニアム開発目標(MDGs)でも見られたが、SDGsやパリ協定で「時間観の転換が確立した」。

 

 

地球環境に関する国連会議では、言及される時間のスパンも延びている。産業革命前という言われ方がされるが、これは100年単位。

だが、MDGsで象徴された時間単位はミレニアム=1000年。さらに、2012年にブラジルで開かれたリオ+20会議開会式には「アントロポセンへようこそ」というビデオが流され、1万年単位になった。

 

地質時代は、古生代(カンブリア紀~ペルム紀)、中生代(三畳紀、ジュラ紀、白亜紀)、そして人類誕生以降の新生代へと進んできたと区分され、現代は「完新世」。

しかし、実は完新世はすでに終了しており、人類が地球環境を左右する「人新世(アントロポセン)」に入っているという考え方が2000年頃から提唱されている。

1万年前は氷河期でいずれまた訪れると予測されていたが、人間が地球環境を変えてしまったために氷河期のスタートが遅れるとも考えられている。

 

100年単位と1000年単位と1万年単位の変化が今同時に生じている。この射程の違いと、そこからのバックキャスティングにとって「必要なのはイノベーションではなく、もはやトランスフォーメーションだというのがキーワード」。

持続可能な開発に必要な、人間、環境、開発の次の4つ目の柱は?

もっと射程を短く取ると、地球環境に関する国連会議は10年ごとに開かれてきた。

1972年、ストックホルムで地球環境に関する初の国連人間環境会議が開かれた。そこで生まれたのが国連環境計画(UNEP)。

82年にはUNEP特別管理理事会がナイロビで開かれた。貧困撲滅や開発が最重要課題だったアフリカに最初に本部が置かれた国連機関がUNEPだった。

その後、日本の提案によって「環境と開発に関する世界委員会」、通称ブルントラント委員会が85年に設置され、87年の最終報告書で「持続可能な開発」が中心的な理念として打ち出された。

そして、92年にはリオ・デ・ジャネイロで地球サミット(国連環境開発会議)が開かれた。

さらに、2002年のヨハネスブルグサミットで3P(プラネット、ピープル、プロスペリティ)、つまり環境と人間と開発(経済)が重要な3つの柱として出揃った。

しかし、人間(社会)と環境と開発(経済)が重要だと言われながら環境破壊がなおも続き、2012年のサミット(リオ+20)以降、第4の柱は何になるかが課題として浮上した。

 

 

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