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緑の街と緑の人びと
第十一回
ここ数年は環境教育というテーマでドイツに視察にくる人たちが多かったように感じています。それは日本の義務教育で「ゆとり教育」がはじまり、その中では環境保護や社会福祉、健康、情報技術、国際感覚といったテーマを扱うようになったのが一因でしょうし、その「ゆとり教育」制度自体が行き詰まってきた感があるからかもしれません。現在は「ゆとり教育」自体も見直しを受けているそうですし、この先も存続するのかどうかは分かりません。でもまあ、これまでは、ひとつドイツの環境教育でも手本に、というノリの視察が多かったのは確かです。
でも大学を出てそのまま教職につき、人生をエスカレート式に上ってきたサラリーマン先生が、子供たちに「ゆとり」を教えることができるのか、と私は懐疑的です。海外経験、あるいは日本で海外に関係したことのない人が国際感覚を教えられないように、自然や環境保護にこれまで特に興味がなく、何らかの形でそれを実行していない人に環境保護は教えられません。
ある大手の調査機関が、東北地方の小学生に「環境保護とは何か?」というアンケートをしたところ、「ゴミ拾い」という答えが一番多かったそうです。その地方ではゆとり教育の時間の多くを、公園や川のゴミ拾いに使っていたからです。こういった笑えない話が、皆さんの身近にもありませんか?
それゆえ「ドイツの環境教育を視察する」というアイデアなのでしょう。でもゆとり教育を実践したい教育関係者が、3泊4日でヨーロッパに視察に来ること自体「ゆとり」がありません。またドイツの学校では全体的に環境教育が施されていますが、それは日頃の授業の素材やテーマが環境に身近なものであって、そのための特別な「ゆとりの授業」などないのです。ゆとり教育をドイツで実施すると想定すれば(そんな無謀なことはやらないでしょうが)、ドイツ人は喜んで森に遠足に行くことになるでしょう。そこでせっかくドイツまではるばるやって来た視察団の人びとはがっかりすることになります。
このレポートのタイトルは「緑の街と緑の人びと」です。フライブルク市民は子供時代に年間数十時間の「環境教育」があったからこのタイトルのような街を作り上げたのではありません。街の歴史や成り立ち、あるいは社会の動きがそうさせているのです。フライブルク市は大変ユニークな歴史を持っています。それを今回から少しずつ紹介してゆきましょう。

戦後の高度成長期の西ドイツでは、経済成長優先で社会が動いていました。例えば右肩上がりの当時のエネルギー消費予想は大変なもので、ドイツ全土で百数十箇所の原子力発電所が必要というものでした。そして当然、フライブルク近隣にも原発の建設が予定されたのです。そこで69年世代、いわゆる長髪にジーンズ、サンダル姿の強力なアクセントがドイツの歴史に登場します。この強力なアクセントは、社会に出てもそのスタイルを守り通しました。日本のように突然変異で「猛烈サラリーマン」に成り代わってしまわなかったのです。現在でもあらゆる分野で活躍しているこの世代について知らなければ現在のドイツの政治、経済、そしてもちろん環境保護は語れません。

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村上 敦
(ムラカミ アツシ)
1971年生まれ。岐阜高専土木工学課を卒業後、ゼネコンに入社。東京湾埋立工事 などにおいての環境破壊の惨状に疑問を感じ、ドイツ・フライブルクへ留学。フライブルク大学独文科に在籍しつつ、ドイツの環境政治・行政を学ぶ。途中ドイツ人女性と結婚し、休学。その後、フライブルク地方市役所・建設局に勤務し、
現在は日本の環境機器メーカーのアドバイザー、兼主夫。HP(www.geocities.jp/freiburg2004report/)でフライブルクの行政についての分析を行う。」 |
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