『和の精神で涼しく』 守乃ブナさん講演会レポート
普通の人の連続エコ講座 『和の精神で涼しく』 2008.07.17Thu 守乃ブナさん
普通の人間として環境問題に対して何ができるのかを考えた時に、心の問題つまり“attitude”なのではないかと思い、今日は私が大事だと思う心のことを中心にお話をしたいと思います。
「エコロジー」という言葉を調べてみると、「環境保護」「環境問題」そして「生態学」とも書かれています。この言葉の世界観と比べると、いま世間でエコと言われている事は、どうも「省エネ」「リサイクル」などにばかり焦点が集まっていて、何か大事なことが抜け落ちいてるような気がしませんか。有名デザイナーのエコバックを競うように買ったり、ろうそく灯し競争のようなキャンドルナイトイベントが行われたり、何が良くて何がダメなのか判断が難しいことがよくあります。もちろんそういう場面で、ひとつひとつを調べたり勉強することは大切なことですが、毎日の生活の中でそんなことばかりしていたら、とてもじゃないけど事が進まない。であるのならば、その時に何か1つ自分の「芯」になるものを持っていれば、少し生活がしやすくなるんじゃないか、気持ちにゆとりが出るんじゃないでしょうか。そしてそれは、「全体を見る目」「全体を描く力」じゃないかと私は考えました。「全体」は英語で「Whole」と言いますが、その「Whole」と関係した言葉で「Holistic」という単語があります。病気になった時にその部分だけを治すのではなく、体全体を健康にしようという「ホリスティック医療」も注目を集めていますが、そんな「全体を見る目」が失われてしまったから、最近はおかしな世の中になってきたのではないかという気がします。自分がどのように「全体」、つまり社会や自然と関わっているか…それを1年の中で何回か思い出すだけでも、ずいぶんと違う世の中になるのではないでしょうか。
そこで「和」について考えてみたいと思います。最近は「日本っぽい」こと全てが「和」という言葉で片付けられていますけれども、「和」とは一体何でしょう。「和む」という時の「和」という文字に対して「ワ」という音がつけられています。その「ワ」には、ほかに「環境」の「環(ワ)」という文字もありますが、いい「環境」にいると人と人の間に「輪(ワ)」が生まれて、その「輪」の中には会話の「話(ワ)」が語られて、その場が「和む」ことになります。そんなサイクルを生み出すこの「ワ」の音の中には、日本人が本来持っていた、或いは願っていた、とても大事な精神が生きているのではないでしょうか。
では「和」の暮らしは、どのように私達の生活のガイドとなってくれるのでしょう。日本は小さな国ですが、生き物・風土・歴史…様々な恵みを持つ国です。そういう恵みの表れを季節に感じることができる国です。例えば今日はご覧の通り着物を着てきたのですが、帯に「海の家」が描かれた柄になっています。もちろんお洋服でも色や柄で楽しむ事はできるのですが、着物は素材にしても色や柄にしても季節に寄り添ってきたもので、これは着物ならではの楽しみです。またその一方で、着物を作る時には、帯状の反物から全て四角いパーツを取っていくのでハギレがほとんど出ません。こういった無駄が出ないのも着物の優れたポイントです。ところで反物はたいてい幅36〜38cm・長さ12mとサイズが決められています。なのに、どうしてどんな体格の人の着物でもそれで賄えるのでしょう。それは、四角く切り取った各パーツを縫い合わせる時に「縫い込み」という部分を作ることにその秘密があります。糸をほどけば縫い込んであった生地の出し入れでき、長さや幅の調節が可能になるのです。また、そもそも体に巻き付けて着るものですし、女性ものの着物は丈が元々長いものをたくし上げて着るので、サイズに余裕があるのです。それは同時に、擦り切れた部分は少しずつ切って縫い直していく余裕もあるということなので、結果的にかなり長い年月をかけて着続ける事ができ、母から娘へ、その娘へと、「着物一枚親子三代」とも言われる衣服なのです。
そんな着物は日本全国に70種類以上もあり、各地で様々な天然繊維から作られています。中には紙から作られた素材もあれば、「南部裂織」と言って古くなった布を細く裂いて織り直すというものもあります。また「津軽こぎん刺し」という刺繍法は、麻の着物しか着用を許されなかった津軽の庶民が、強度や保温性を高めるために糸を数多く通していったことが芸術にまで昇華したものです。本来私達の身近にあった「着物」というものをちょっと見直すだけで、日本にある自然・歴史・風土に気づかされるのではないでしょうか。
この着物というものは、例えば襟や脇の部分が大きく開いていたり、袖に風が貯まるので意外に涼しいとも言えるのですが、暑いと言えば暑いのも事実です。着物仲間との間では、「着物は自分のための涼しさではなく、周りに対するご奉仕かもしれないね」とよく話をしています。着物を着ていると、多くの方が「涼しそうだね」と声をかけて下さいます。その時にやせ我慢でも涼しい顔をすると、一瞬でもその場が和んで、爽やかな風が巻き起こります。そのやりとりが暑さを和らげてくれる訳ですね。子供の頃、大人達が「お暑うございます」と挨拶しているのを見て、「いちいち口にしなくても分かるのになぁ」と思ったりもしていましたが、それこそが交流であり、挨拶を交わすという心のゆとりなのです。着物を着るということは、確かにその前後も含めて手間がかかる部分がありますけれども、食べ物にスローフードがあるように、衣類にもスローがあっていいのではないかと私は思います。敢えてスローにする事で、どんどん加速度的に失われていった気持ちのゆとりを取り戻し、みんながふと和んだ時、そこに暖かさもあれば涼しさもあるのではないでしょうか。
今日は「和で涼む」ということなので、次は着物から少し離れて「暮らし」の部分で考えてみましょう。私が実践していて「これは効き目があるぞ」と思うのは雑巾がけです。我が家はクーラーを使わないので室内の温度もかなり高くなるのですが、そんな時に掃除機を使うと余計暑く感じます。そこで雑巾がけをするのですが、要は「室内打ち水」みたいなもので、緩めに絞った雑巾で床や窓枠などを拭くと温度が下がり、その後で乾拭きするなり自然乾燥させるなり…と言った具合です。電気も使わないし、塵や誇りも細かく取れるので一石二鳥だと思っています。
それから「下駄」もお薦めです。いきなり着物の生活は無理だという人でも、履物だけ下駄にしてみるというのはどうでしょう。一口に下駄と言っても実は種類が多く、男女問わずカジュアルなオシャレの中に組み込むことができますし、単に涼しいだけでなく、水虫や外反母趾にもいいと言われています。また、「エシカル・ファッション(Ethical Fashion=倫理的に正しい服装)」という、例えば無農薬の天然素材やフェアトレードされている生地を使おうという動きがファッション界に広がっているのですが、正しく伐採された国産材で作られたいい下駄でたくさんの人がカランコロンと音をたてるようになれば、これは実にエシカルなのではないでしょうか。
すでに皆さんお分かりだとは思いますが、涼しさとは皮膚で感じるだけが涼しさではなく、目で見て、音で聞いて、口で味わって気持ちで感じるものです。「水無月」という和菓子があって、京都の和菓子屋さんでは6月の声を聞くと一斉に出回るものですが、これは昔、夏の涼をとるために、高価な氷を手に入れる事が出来ない庶民が、氷を模してういろうで作ったお菓子です。昔からイメージの中で遊ぶのが上手だったのが日本人です。ですから五感をフル活用させながら涼しさを発見できれば、夏の思い出も豊かになるのではないでしょうか。
最後に由々しき問題をひとつ皆さんに投げかけたいと思います。着物の原料となる絹や綿は、明治中期くらいまではほぼ100%国産だったそうです。ところが昭和20年くらいになると、それが限りなく0%になってしまいました。そして今は、ほとんどを外国から輸入して、しかもオーガニックではありません。綿を栽培している海外の農地の周囲では、農薬で生物がどんどん死んでいるような状況があり、絹についても95%以上が輸入で、国産の絹と唱われているものでも、横糸か縦糸どちらかしか国産ではなく、それでも今の基準では「国産」表示が許されているそうです。そんな世の中で、私達が何を選ぶのか、自分達が何を着て、洗濯の度にどれだけの化学染料を汚水の中に流しているのか…そんな色々な所に注意を向ける事こそが、前半にお話しした「Holistic」な生活を送る事に繋がるのではないでしょうか。
