今回はドイツの健康法について。でも、このお話に出てくるクナイプ療法というのは、ドイツでも時代とともに廃れてきているし、とくに若い人たちに支持されているわけではありません。クナイプ療法というものを知らないドイツ人も多かったりします。だから、「全部のドイツ人がこうしてる!」なんて誤解のないようにお願いしますね。
日本に限らずドイツにもいわゆる民間療法というものが多々あります。私の住むフライブルク市とその近郊は、黒い森の麓にあり、ここで盛んな民間療法といえば、やっぱり「クナイプ神父」のことを皆さんに紹介しなければなりません。
その前に少し。なぜこのエコロジーのコラムのテーマを「健康法」にしたかってことについて説明しましょう。とくにロハスを意識しているわけでもないですし、とりわけ「クナイプ療法」はエコとは無縁の農村のおじいちゃん、おばあちゃんに支持されている療法です。でも、私が考える「エコ」とこの黒い森で実践されているクナイプ療法とは、結構ピッタリ来るんです。私は、最近出版した本の中でも「ソーシャル・エコロジー」という言葉を多用しています。というのは、環境保護や社会福祉、社会的なセーフティーネットの機能、社会の安全や人の幸せというものは、非常に近いところに、いや根は同じところにあると考えるからなんです。
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http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-2419-7.htm
私はまだ勉強不足で、頭の整理もついてないですから、このコラムでそんな難しいことを語っても読者の皆様にはうまく説明ができません。明確な表現の方法がまだ見つかっていないからです。そこで、この「クナイプ療法」というフィルターを利用して、この療法を紹介することで、「ソーシャル・エコロジー」の概念を少しでも皆様に分かっていただけたらと考えています。
さて、クナイプ神父のことでした。今からおよそ150年前のドイツ南部のバート・ヴェリィスホーフェン(Bad Woerishofen)という村での出来事です。34歳のカソリックの神父(神学の学生)であったカプラン・ゼバスティアン・クナイプは、アルゴイ地方のお医者さん、薬剤師、そして敬虔なカソリックの信者たちから「もぐりの似非医療」を行っていると訴えられます。教会からも幾度も注意されたものの、その一風変わった療法の実践を止めることがなかったため、上述のバート・ヴェリィスホーフェン村の小さな修道院へクナイプは飛ばされ、農業を研究するように司教から命じられました。
クナイプ神父と彼の行った療法の当時の写真は、
以下のサイトから:http://de.wikipedia.org/wiki/Sebastian_Kneipp
彼がアルゴイ地方で施していた一風変わった民間療法とは、彼自身が実践し、身を持ってその効果を確かめた療法です。彼は自身の結核をその療法で退治したのです。その手法を一口にまとめると「水の力を信じること」。だた、それだけです。実際に、彼は、コレラであろうが、何であろうが、病気の人には、その症状にあわせて冷水を体に浴びせます。冷水で濡れたタオルを、患部に巻きつけます。冷水に足を、そして手をつけさせ、痺れたところで外に出すという治療を指示しました。あるいはそれらは温水の場合もありました。いわゆる水治療法というものです。場合によっては、真冬のドナウ川に飛び込むように指示しましたし、ホースで、バケツで、ジョウロで体の異なる場所に水を浴びせました。これは、彼が神学校の図書館で読んだ、神学書の一文「新鮮な水の治癒力」を信じた信仰の実践でもあったのです。
農業を研究するように左遷させられたこの土地でも、クナイプ神父の信仰の実践は留まることを知りません。水に関係する薬草、ハーブを植えさせ、それでお茶を作るように修道院の修行僧に指示しましたし、そうしたハーブティーと水治療法とを掛け合わせ、効能の研究にいそしみ、医者にかかれない貧しい人々の治療から不治の病まで幅広く患者と向き合いました。忙しいときには、この水掛け療法に1日で300名もの患者が彼の元に訪れることになったそうです。冷水、温水、蒸しタオル、冷水タオルと異なる方法で、異なる病気を次々と治療してゆきます。体の動かない老人に、巻き割りをさせたり、農業をさせたりと、同時に体を動かす指示も忘れません。
そのような民間療法であったにもかかわらず、効き目は絶大で、クナイプの名前は日ごとに知られ、この農村には水治療法センター、つまり水浴び小屋(クアハウス)が建てられます。ドイツ国内、国外を問わず、不治の病を抱えた人々はクナイプ療法を求めて集まってきます。またこの村では、老若男女にかかわらず、裾を上げ、足を濡らし、裸足で歩く人々が道々で見られるようになったことから、「破廉恥で罪深き村」とのレッテルも貼られたそうです。
こうした「クナイプ療法」は、彼の死後も拡大して広まり、とりわけ南ドイツを中心に今日まで続けられ、特に黒い森の奥地の農村では、今も多くの人々に日課として実践されています。その日課として実践されている「ロケーション」と「その形態」が実は私の目には「ソーシャル・エコロジー」に映るんです。
現在のクナイプ療法でも、特に「クアハウス(療養所/保養所)」と呼ばれるところで実践されるもの、医師の指示で行うものは、ここでは取り上げないで、日常での「クナイプ療法」の実践についてもう少し触れましょう。
黒い森の田舎村に行くと、多くの場合、村の中心から森に向かって少し外れたところに、ベンチや湧き水の井戸か泉、噴水が置かれています。その場所に、クナイプ療法を実践する小さなプール、あるいは洗面台のような水場が備えられているのをよく目にします。
クナイプ療法で使われる村に設置された小さなプールの写真は、
以下のサイトで:http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Wassertreten_1.jpg
小さなプールには、湧き水か小川の水が引かれていて、深さは大人の膝ぐらいまで水が張られています。もちろん、森からの水ですから夏場でもキンキンに冷えています。ズボンを膝まで捲し上げて、靴と靴下を脱ぎ、コウノトリのような歩調で、片足、また片足と順々にゆっくり上げ下げしながら、前に進みます。しばらくすると、冷水の冷たさで足に感覚がなくなり、痺れてきますから、そうしたら水から上がって、横に置かれたベンチに腰掛けて、水をふき取らないで、乾燥するまで待ちます。すると足がポカポカ。
洗面台のような水場では、肘まで袖を上げて、冷水につけるだけ。あとは足の場合と同じで、耐え切れなくなったら引き上げて、放置します。こうすることで身体の血行がよくなり、心臓病や循環系の病気を予防、そして治療することができるというものです。
これが「ソーシャル・エコロジー」である理由は、ただ一つ。このクナイプ療法を行う場所が、村民の憩いの場、井戸端会議の場所になるからです。森からの清水のある場所に人々が集まり、コミュニケーションが図られることは重要です。まず、人々はその村の水が綺麗かどうか、枯れることがないかどうかに無関心ではいられません。さらにお天道様の下で、人が集まり、お互いに体をいたわり、言葉を交わし、今年の天気や収穫について談義する。農業が廃れてしまった今の日本では、日常会話で「雨」といえば悪者です。渇水や不作がニュースになるまで、そんなことに関心は置かれません。しかし、そもそも天気の中に悪者はなく、すべてが自然の恵みであると気づかされる機会が、そうした「ソーシャル・エコロジー」の場にはあるのではないでしょうか。
そんな、人類誕生以来、人間社会では当たり前のようになされてきた機能を後世に残すことが、環境という人間の生きることのできる条件を守ろうとする意識が芽生えてくるのではないでしょうか。どうか勘違いしないでください。環境保護とは地球を守るものではないんです。人間がいくら環境を破壊して生物を殲滅しようと、地球の長い歴史から見れば、ほんの一瞬でしかありません。人間の子孫をこれから先も残し、彼らに豊かな生活環境を譲り渡し、同時代に生きる生物種と共存するということだけが、人間ができる範囲です。
皆さんの身の回りには、井戸端会議の場所がありますか? 公園デビューなどという言葉が当てはまるような、人間関係の緊張した人工的空間の公園ではなく、・・・
環境ジャーナリスト 村上 敦
www.murakamiatsushi.de
(クナイプ療法で使われる村に設置された小さなプール)
