カルチャー

2017年

4月

15日

<アースタロット>愛は見えない

CC BY 2.0 by mario
CC BY 2.0 by mario

愛って一体何でしょう?

愛は見えないのに、なぜ人は愛を語ることができるのでしょうか?

みなさんにとっての愛とはなんですか?

愛について考えてみると、いろいろ疑問がわいてきます。

 

愛の概念はみんな同じ?

人はなぜ愛を必要とするのでしょう?

地球に愛は必要ですか?

 

今回は、この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを

タロットカードに降ろして、

「愛」について聞いていきたいと思います。

CC BY-NC-ND 2.0 by Mikhail Chekmezov
CC BY-NC-ND 2.0 by Mikhail Chekmezov

 

 

まず、人間が「愛」をどんなふうにとらえているかといえば、

 

「自分の手で勝ち取るもの。だけど、手にした瞬間、もしかしたら裏切られるかもしれないもの」、

と出てきます。

 

人間にとっての「愛」とは、ほとほと自分をうんざり、ガッカリ、あるいは怒らせるようなもの、

というイメージの様子。

 

ほんとうに?!

 

我々人間にとって「愛」はそんなものに成り果ててしまっているのでしょうか。

 

なぜそんなことに?と聞いてみたら、

 

「なぜ人間が、必ず「失望」や「怒り」の方向に愛を持っていくのかという質問か?」

と逆に聞き返されました。

 

そうだと答えると、

 

「元々、ほとんどの人間は、他者や外部のことを信頼することができていないため、

必ず裏切られるというシナリオを手に持って(想定して)いて、

それが現れるのを無意識下で求めるから」

 

と、人間をノックアウトするような答えが返ってきます。

そして、

 

「自分の外部を信頼しないで愛を求めることは不可能。

それは、愛ではなく、

仮の愛のようなものを作り上げようとしているだけ」

とのこと。

 

では、本当の愛とは?

 

「今、起こっていること、今、あることのすべてを、

それが一番良いものだと認めて完全に受け入れること。

その中で癒されること」。

 

 

起きている出来事がどんなに不本意だとしても、

それが自分にとっても全体にとっても一番良い形なのだととらえて手を放すこと。

その完全に安心した中で生まれる純粋な気持ち。

 

それが宇宙が言うところの愛だそうです。

 

しかし我々人間は、起きている出来事が不本意ならば

そこに執着してしまい、手を放すことができず、ムリヤリにでもそれを修正しようとするでしょう。

 

だから

 「人間にとっての「愛」とは」 =「自分の手で勝ち取るもの、しかし、手にした後は、

もしかしたら裏切られるかもしれないもの」

というように表現されてしまうのか~……。

 

 

では、視点を少し変えて、地球には、愛が必要ですか?

と聞いてみました。

その「愛」とは、もちろん、先ほど宇宙が教えてくれた「愛」のことですが。

 

答えは、

「地球にとって必要というよりも、実のところは、人間が愛の状態を理想としているから、

それを追求していくだろう」

とのことです。

 

人は、宇宙が言っているような完全にすべてを受け入れる「愛」の状態が一番正しいに違いない、と、どこかでわかっているのだけれども、それを求める過程で、どこかズレてしまい、

自らの首を絞めるかのように苦しくなってしまっている、そう。

 

 

愛を手にしたいと焦りすぎ、そのせいで本当の愛ではない、もっと簡単に自分の手でどうにかコントロールできそうなものを愛と呼ぶことにしてしまったようです。

 

そして、勝手に思い描いた「愛」の状態を目標にし、状況を自ら操作をしていこうとするのだとか。

しかし、誰にも邪魔されないように四六時中、いろいろなところを見張っていなくてはいけないし、

状況が思いどおりにならなければならないほど気持ちが苦しくなり、

結果、「執着」というものになってしまうのだそうです。

 

そんなふうに、我々は本物の「愛」を回避して、自分の願望と「愛」とを取り違えて、

それを簡単に手に入れようとしているみたいです。

 

実はそっちのほうが難しいのに。

 

おまけに、本物の愛ではないから、手に入れることができたとしても、すぐに不幸を感じてしまうのに。

 

たとえば、

70歳の父親が「娘夫婦と一緒に暮らしたい」、娘がそうしてくれることが、

彼女から自分への愛の証明だと考えていたとします。

 

それを実現させるために、父親は、マンション購入時の頭金を出してやったり、一生懸命、野菜など作って娘の家に持って行ったり、度々電話などをするかもしれません。

 

しかし、共働きで忙しい娘夫婦にとっては、それはありがた迷惑でしかないかもしれない。

 

父親が近づこうとすればするほど、娘夫婦は離れて行ってしまうでしょう。

 

そうなれば、父親は、

「今までこんなにしてやったのに!」

と今、娘夫婦に対して恨みがましい気持ちになってしまうかもしれません。

 

 

あるいは、ムリヤリ父親が圧をかけて一緒に暮らすことが可能になったとしても、

それは誰の愛でもないわけで、父親にとっても娘夫婦にとっても、

毎日が不満の連続になるかもしれない。

 

 

けれども逆に、父親が遠くから何も言わなくても、ただ娘夫婦の幸せを願っていたら、

彼らは自然とその愛を感じとるに違いないのです。

 

そして、父親に直接、愛の証明を与えることはなかったとしても、彼が寂しいときに

側にいてあげることができなかったとしても、娘も父親にずっと愛を送り続けるでしょう。

はっきり形はなかったとしても、そこには愛が確かにあるのです。

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2017年

3月

09日

<アースタロット> Be Cool

CC BY-NC-ND 2.0 by Bill Hertha
CC BY-NC-ND 2.0 by Bill Hertha

「人間は、ただ在ればいい」

と、言われました。

 

これは、タロットカードを通して、

地球 (!?) に、

「地球にいま一番必要なものはなんですか?」

と質問した答えです。

 

「地球だってただ在るのだから、

ケニアにいるキリンだって、

北極にいるシロクマだって、

マタガスカルにいるカメレオンだって、

ただ在るのだから、

そのように

人間もただ在ればいい。

そうすれば 

" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモクしたもの "

が消え、

自然なかたちで地球と繋がっていることが

その時にこそしっかりとわかり

深く安らぐことができる」、

とのこと。

 

" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモク "

とは、人間の余計な思考。

 

なぜそのような黒いモクモクを

我ら人間が無意識にも発してしまうかといえば、

「人間の視界が曇りすぎているから」。

 

 

例えば、

暗闇で後ろから誰かに、ぽん、と背を叩かれて

「ヒィ~~~!!!」

と叫びごえをあげ、

そのとき相手が、

「どうしたの!?、僕だよ!君の友達の木村だよ!」

と腕を掴んで教えられても、全く気がつかず

「ぎゃ~~~~~!!!!」と

叫び続け、手を振り払って転げながら逃げていくような…、

 

そんな恐怖に私たちはどっぷりとハマりすぎて、

本当のことは

何も何も見えなくなっているのだとか。

 

 

人間はすべて必要なものを

あらかじめ持たされて生きているのだから、

それ以上に自分の安全を守ろうとせず、

不安に陥らず、

ただ生を謳歌していればいいのに、、、

と、この世を総括している存在(宇宙)は言います。

 

「必要なもの」とは、

おそらく直感ということだと思いますが。

CC BY 2.0 by Georgie Pauwels
CC BY 2.0 by Georgie Pauwels

 

 

とにかく、地球としては、

「余計な重たいものを乗っけるのはやめてくれないか」

と言いたいみたいです。

 

「重たいもの」とは、

物理的な重量のことではなくて、

先ほどの " 黒いモクモク " のこと。

人間が思考上に持つ「余計なもの」。

 

人間の頭にぶら下がる黒いモヤモヤ…。

 

それは、考えなくてもいいことを

なぜか考えてしまう人間の無駄な思考なわけですが、

地球からするとそんなものは

果てしなく無駄なものであり、

人間にとっても地球にとっても

大きな負担となるのだそうです。

 

言うなれば、

地球と人間の間にはだかる邪魔なもの。

 

そのような不必要なものをぶら下げ

足を引きずるかのように歩いている人間の状態は、

宇宙や地球からしてみれば

理解不能なほどにナンセンス!

 

「人間は感覚的に遅れすぎている」

ひとことで言ってしまえば、

「クールではない」そうです。

 

しかし、我々人間は、

「いろいろな悩みや思考を持つことは遅れている」

などというふうには

一度も考えたことがないかもしれません。

 

四六時中いろいろなことが

頭の中で鳴り響いている。

それが人間にとってはごく自然なことです。

 

 だけど実はそれはとても不自然で

カッコ悪いことだとしたら、、、?

 

どうでしょう??

 

 

では、なぜ人間がそんなにも

地球が嫌がるほどの重たいものを頭にくっつけて

ぶらぶら歩きまわっているかと言えば、

「自分というものを偽って生きようとしてるから」

なのだそうです。

 

しかも、本当の自分を隠して生きているくせに、

「自分をわかってほしい」、

「あの人はわかってくれない!」、

「きちんと自分を受けれ入れてもらわないと!」

などと、まるで子供のように

叫んでいるような状態になっているのだそう。

 

そのジレンマいっぱいの頭の中で

多量のノイズを作り出し

地球と自分自身に負担を与えている。

 

さらに掘り下げてみれば、

「人間は間違えた夢を持っている、

ファンタスティックな夢を持たなくてはいけない、

そういう夢を持つことを自分に許せば、

本当の自分でいることができる」

と宇宙は言います。

 

「現実のサイズに合わせた夢ではいけない、

現実サイズの夢にすれば、

自らも現実サイズに

押し込めなくてはいけなくなってしまうから」。

 

ゆえに「自分を偽る」ということに

なっていってしまうのかも。

 

 

 

無意味にもがき、

悩まなくて良いところで悩み、

きれいに宇宙への電線が張られているところで

愚かにもヒステリックに騒ぎまくって

多量の無意味なノイズを作り出し…、

結果、

この世を恐ろしいステージだと考えてしまう人間の在り方は、

たしかに地球が言うように、

「非常に遅れているクールではない存在」

なのかもしれません。

 

 

聞こえないと思い込んでいるけれど、

きちんと必要な情報をキャッチする

直感というアンテナも持っているのに。

 

 

地球は、

何度言い聞かせてもわからず

勝手な恐怖を抱いて騒ぎ震えている人間に対して、

お手上げ状態にちがいありません。

 

しかし、

人間が頭の中でノイズを作り出すのを停止すれば、

地球としっかりつながることができそうです。

 

「ただ在る」ことにより、

地球と自然に充電しあうことができれば、

どんなことが起こったとしても

人間は恐怖など感じずに

乗り越えていくことができるそう。

 

そのように

「人間というものは、安全が完備されている存在」

と認識し、

そのことに自信を持った方がよい、

とのことです。

 

「君の肩をたたくのは

友達の木村くんであって、

強盗でも悪霊でも痴漢でもないのだから」。

 

それを恐怖にまみれて錯覚し、

怯えているなんて、ホントにホントにバカみたいです。

 

 

その虚構の世界を見続ける視界を破壊し、

いますぐクールな存在になるべき!

ではないですか?!

 

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2017年

2月

27日

がんばれ!地球マン その115 マダガスカル編

さく つやまあきひこ

次回につづく(作者談)
次回につづく(作者談)

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2017年

2月

19日

イオル日記『日ノ本翳おくり』 第四回 ずっと続いてきたもの

©小林伸司 / ヒノモトカゲオクリ
©小林伸司 / ヒノモトカゲオクリ

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<アースタロット>愛は見えない (土, 15 4月 2017)
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<アースタロット> Be Cool (木, 09 3月 2017)
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がんばれ!地球マン その115 マダガスカル編 (月, 27 2月 2017)
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イオル日記『日ノ本翳おくり』 第四回 ずっと続いてきたもの (日, 19 2月 2017)
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2017年

2月

14日

<アースタロット>火について

CC BY-NC-ND 2.0 by Kai C. Schwarzer
CC BY-NC-ND 2.0 by Kai C. Schwarzer

両親が亡くなり、1年に数回、

実家に通って整理をしています。

いろいろな書類や写真が山のように出てくるたびに、

暖炉で燃やします。

 

ゴミに出すよりも

自分で決着をつけて整理ができる気がして、

暖炉があってよかったー!と

思うことがしばしば。

 

 

 

今回は、「火」について、

タロットを通して、

この世を総括している存在(宇宙?)に聞きました。

 

 

「火の元とは、

たくさんの停滞したエネルギーが寄せ集まっているもの、

だから変化(昇華?)させなくてはいけない」

そのために火がある、

とのことです。

 

 

この世からその形(重さ)を取り去り、

炎として燃えあがらせ、昇華していくことが必要だとか。

 

コントロールされ、作られた

苦しい形の中から自由になる、

エネルギーの資質が変化して宇宙に帰化する、

という感じでしょうか。

 

 

人間の身体も同じく、

父や母の魂が入っていた肉体も

燃やしてしまえば灰。

 

形から解放された両親は

私が想像もできないほど自由なんだろう思い、

うれしくなります。

CC BY-SA 2.0 by Hernán Piñera
CC BY-SA 2.0 by Hernán Piñera

 

宇宙が言うには、

停滞したものを燃やし尽くせば、

人間は直感だけで生きることができると言います。

 

実際の炎をたてて燃やさなくても、

火のエネルギーを使えば良いとのこと。

 

 

 

タロットでは、

ワンド(木の棒)のスートが火のエネルギーをも表現します。

 

その意味は、

ワクワク感や希望、パッション、

クリエイティヴィティ、などなど。

 

そういうもので燃やすことも、

火と同じように可能。

 

 

ダイエットの世界でも、

脂肪燃焼といいますし!

停滞したLowなものを

Highに昇華させるという点においては

実際の火の効果と

同じことになるのではないでしょうか。

 

 

そして、

Lowなものは、火の力によってのみ

Highな状態にいくことができる。

 

つまり、火は

”エネルギーの状態を変化させる”

ということになるのだと思います。

 

 

もうひとつ大事なことが。

 

Lowな状態のエネルギーというのは、

言うなれば

”閉じられた状態” のこと、

なのだそうです。

 

何かの形の中に収まっていることを

信じきってしまっている、

勝手に孤独を感じているようなものらしい。

 

たとえば、

肉体の中に入っている人間の魂もそうかもしれません。

 

この世の在り方を恐ろしいと思っていて、

その中で自分に害が及ばないように

どうにかうまく生きていかなくては、、、と

ヒヤヒヤしているのが

現代の普通の人間の状態だそう。

 

 

しかし、心にほんのちょっとでも火がついたら、

 

そしてそれがだんだん大きく燃える炎になっていけば、

 

知らず知らずのうちに

停滞のエネルギーが昇華されてゆき、

思い込みによって自分が作っていた枠が

薄れてなくなっていくのだそうです。

 

何かに向かって行きたいエネルギーが生まれ、

そこには、今まで感じていた

人生への恐れがなくなるらしい。

 

そうなればグングン健やかにエネルギーは伸びていって、

いろいろなものと楽しく絡み合うことが

できるのだそうですよ。

 

知らず知らずのうちに他者に影響を与え、

受けとり、

学びあう、

ということが無意識のうちに

ごくごく自然に行われるようになるのだそうです。

 

 

それはもう閉じられたエネルギーではなく、

開かれたエネルギーになっているということだそう!

 

 

これは、夢物語のように聞こえるかもしれませんが、

じつのところ非常に実際的であり、

人間の本来あるべき在り方、

これをすれば本当の意味で安定を得られます、

と宇宙は言っていました。

 

「火」とは、我々と無関係にあるわけではなく、

人間ならば誰しも持っている

クリエイティブな欲求というものを

太古の記憶から引き出させてくれるようなもの、

 

そのために炎を見つめなさい、

 

と宇宙は言います。

 

 

「これをこうしたらすてきになるかもしれない」とか、

「そうだ!あれを作ってみよう」などと

クリエイティブな気持ちになるとき、

火のエネルギーが

我々の中で立ちあがっているのだそうです。

 

それは

どす黒く停滞したものを

燃やす事ができるって。

 

火のエネルギーを立ち上げるということは、

変化する、という事なのだと思います。

 

 

なぜ今こんなにも "断捨離" が流行しているかと考えてみれば、

便利なもの、あるいはいらないものを排除して、

「クリエイティブになりたい」、

ということなのではないでしょうか。

 

そしてそれを実行するということは、

イコール「変化」していく

ということになるのだと思います。

CC BY 2.0 by Phil Dolby
CC BY 2.0 by Phil Dolby
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