地球の鼓動を聞け! アースタロット

CC BY-NC-ND 2.0 by Andi Campbell-Jones
CC BY-NC-ND 2.0 by Andi Campbell-Jones

地球はひとつの生命体である。そう唱えたのはNASAで大気を研究していた化学者のジェームズ・ラヴロックです。ガイア仮説と言われるこの概念はレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にも見られるものです。もし、地球が生命体であるとするならば自分自身の意志をそなえ、私たちに何らかのメッセージを伝えているのかもしれない。そのメッセージをタロットで読みとってみようというのがこの連載です。さて、地球はどんなメッセージを送りかえしてくれるのでしょう。

2017年

5月

16日

<アースタロット>地球とダンス

CC BY-NC-ND 2.0 by Emilio Dellepiane
CC BY-NC-ND 2.0 by Emilio Dellepiane

 

『ダンス』の意味を知りたいと思いました。

 

人は昔からずっと踊っていますよね。

雨乞いとか、豊作祈願とか。

 

有名な日本神話でも、

引きこもってしまった太陽の神のアマテラスが、

隠れていたところからやっと顔を出したのは

踊りのおかげ、というエピソードもあるくらい。

 

現代では、

自己表現のひとつという芸術的イメージが強いですが、

 

本来のダンスの意味は?

 

祈り?

 

 

地球にとって、宇宙にとって、

人が踊ることとは?

 

 

今回はダンスについて、

この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを

タロットカードに降ろして聞いていきたいと思います。

 

CC BY 2.0 by alex de carvalho
CC BY 2.0 by alex de carvalho

 

ダンスとは?

と、単刀直入に尋ねてみたところ、

 

"高いところ(夢?)に手が届くように、

人のエネルギーを喚起させるためにある。

そして、そこに向けて前進できるエネルギーにする" もの。

 

ということを宇宙は教えてくれました。

 

喚起という言葉を

インターネットで意味を調べてみたところ、

喚起とは、

「眠っている意識を呼び起こす」

(『意味ブロ-ちょっと難しい言葉のまとめ』より引用

 http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-68.html

と書かれています。

 

ダンスをすることで、

人間の奥深くで眠っている

普段は使わないような超意識が

起き上がるのでしょうか。

 

 

ダンスは、

普通の人間の手では届かない高いところまで

エネルギーをつなげる手助けをしてくれる、

ようですが、

 

エネルギーさえつながれば、

人間は、夢のまた夢!のようなデカいものを

本気でリアルに信じることができるようになるみたいです。

 

そうすれば、

勢い良く前向きに、夢に向かって行くことができる。

 

 

じつはこれは、

天から近道を与えられる、

というようなことなのだそうです。

 

 

普通ならば、この、一見、手の届かなそうな夢、

それを信じることすら

人間にとっては難しいでしょう。

 

たとえ、それを夢みて叶えたいと思ったとしても、

そこにたどり着くことは簡単ではないです。

 

あらゆる手をつかわないとそれは無理!

と思うはず。

 

ある局面では、

必要ならば人を出し抜いたり、

欺いたり、自分さえをも裏切って

どうにかそこへ行こうとするかもしれない。

 

 

ダンスとは、

 

そういうややこしい道をナシにして、

一直線に簡単に、

夢へとたどり着くことができるエネルギーを得る方法、

 

なのだそうです!

 

踊りによって覚醒した状態でそれを夢見る場合では、

夢を信じることのできるレベルが

別次元くらいに違うらしく、

 

で、本当に別次元だから

ありえないようなことも

不思議と可能になってしまうのだそう…。

 

実際にまだ行動していなくても、

エネルギーさえしっかりのびて夢に繋がっていれば、

下書きに色が自動でつけられていくかのように、

宇宙から道がポンポン与えられていくということが

ありえるんだそうです。

 

 

だけど、毎日踊ってるけど別に??

と思う人もいるかもしれません。

 

じゃあ、どうやって踊ったらいいの?

 

ということを聞いてみました。

 

 

どんな気持ちで踊ればこの境地に行けるのか?

 

まず、

自分を喚起することができなければいけない、

この秘密を知ったからといって

それを手に入れようとして踊っても意味がない、

 

とのことです.…!

 

 

「自分を喚起する」って、

具体的にはど~いうことなのか?!

と聞いてみたら、

 

人間としてのあり方を

超越するエネルギーを感じるということ、

 

との答えが。

 

 

「人間は空を飛ぶことはできない」、

「人間はいつか死ぬ」、

「人間はテレパシーは使えない」、などなど

肉体によるあらゆる制限すべてを

「ほんとかよ?!」

と思って、

 

「空を飛べるかも」

「自分は死なないかも」

「よく考えたら、テレパシーって実は日常的に使ってるかも」

……と、本気で感じるところまで

自分をあげていく、ということらしいです。

 

 

"人間としてのあり方を超越するエネルギー" 

を感じられた時、

我々は自然と、

心の中の水たまりのようなものを持たなくなるそう。

 

ダンスによる ”すごく楽しい” 状態が引き金で、

人間の中で眠っている何かのエネルギーが

パン!と立ち上がるから。

 

人間が最高に楽しい状態になるときには、

その人がいる磁場が変化するようです。

宇宙との境界線が消えるかのように。

 

 

全国各地の祭りで踊る風習があるのは、

神様を呼ぼうと、みんなで

その境目を消そうとしているのではないでしょうか。

 

 

 

注意点としては、

煩悩がある状態では

夢にエネルギーをつなげるのは無理で、

超純粋になったところからのエネルギーしか伸びない、

ということです。

 

「ああなったらいいな、こうなったらいいな」

という煩悩からの夢はまるで関係なくて、

魂が見たい夢にしかエネルギーは繋がらない。

 

ということは、踊りというものは、

人間の不要な(エネルギー?)ものを振るい落とすことにもなる、

ということかと。

 

心に余計な水たまり(煩悩?)がない場合、

よりその人らしい選択をすることができるようになる、

そうです。

 

自分自身の魂を見出す、という感じ。

 

瞑想でも、このように

魂のバランスを取り戻すことができるのかもしれませんが、

ダンスは体感が伴う分、

思考を超えやすいのかもしれません。

 

 

 

最後に、ダンスについて、

今度は宇宙ではなく、

地球のエネルギーを降ろして聞いてみました。

 

 

大昔は、人間の、間違えた思い込みの力というものが

とても強かったのだそうです。

 

例えば、あいつは敵だ!と思い込んだら、

その思いはもう固い石のようなものになってしまい、

どんどん戦いに発展していく、、というような。

(その頑固さがガツンガツン地球に響いていたという感じ)

 

そのような強い思い込みを崩すために

踊りは必要だった様なのです。

 

 

現代では、

 

小回りしながら、自分だけ無傷でトラブルを回避し成功したい、

というような人間の肝の小さいエネルギーが

地球にギリギリと針のように突き刺さるそうです。

 

地球はそれが嫌みたい。

なぜなら、それは人間が苦しんでいるエネルギーだから、

だそう。

 

 

 

私たちはもっともっと踊ったら良いのではないでしょうか。

楽になるために。本当の夢を叶えるために。本来の自分に戻るために。

地球に優しくいられるためにも。

 

このようにダンスをすることは、

宇宙や地球と

堅い契りのような握手をことになるのだそうですよ。

 

言葉にすれば、 "LOVE" という感じかな。

 

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2017年

4月

15日

<アースタロット>愛は見えない

CC BY 2.0 by mario
CC BY 2.0 by mario

愛って一体何でしょう?

愛は見えないのに、なぜ人は愛を語ることができるのでしょうか?

みなさんにとっての愛とはなんですか?

愛について考えてみると、いろいろ疑問がわいてきます。

 

愛の概念はみんな同じ?

人はなぜ愛を必要とするのでしょう?

地球に愛は必要ですか?

 

今回は、この世を総括している宇宙(神さま?)のエネルギーを

タロットカードに降ろして、

「愛」について聞いていきたいと思います。

CC BY-NC-ND 2.0 by Mikhail Chekmezov
CC BY-NC-ND 2.0 by Mikhail Chekmezov

 

 

まず、人間が「愛」をどんなふうにとらえているかといえば、

 

「自分の手で勝ち取るもの。だけど、手にした瞬間、もしかしたら裏切られるかもしれないもの」、

と出てきます。

 

人間にとっての「愛」とは、ほとほと自分をうんざり、ガッカリ、あるいは怒らせるようなもの、

というイメージの様子。

 

ほんとうに?!

 

我々人間にとって「愛」はそんなものに成り果ててしまっているのでしょうか。

 

なぜそんなことに?と聞いてみたら、

 

「なぜ人間が、必ず「失望」や「怒り」の方向に愛を持っていくのかという質問か?」

と逆に聞き返されました。

 

そうだと答えると、

 

「元々、ほとんどの人間は、他者や外部のことを信頼することができていないため、

必ず裏切られるというシナリオを手に持って(想定して)いて、

それが現れるのを無意識下で求めるから」

 

と、人間をノックアウトするような答えが返ってきます。

そして、

 

「自分の外部を信頼しないで愛を求めることは不可能。

それは、愛ではなく、

仮の愛のようなものを作り上げようとしているだけ」

とのこと。

 

では、本当の愛とは?

 

「今、起こっていること、今、あることのすべてを、

それが一番良いものだと認めて完全に受け入れること。

その中で癒されること」。

 

 

起きている出来事がどんなに不本意だとしても、

それが自分にとっても全体にとっても一番良い形なのだととらえて手を放すこと。

その完全に安心した中で生まれる純粋な気持ち。

 

それが宇宙が言うところの愛だそうです。

 

しかし我々人間は、起きている出来事が不本意ならば

そこに執着してしまい、手を放すことができず、ムリヤリにでもそれを修正しようとするでしょう。

 

だから

 「人間にとっての「愛」とは」 =「自分の手で勝ち取るもの、しかし、手にした後は、

もしかしたら裏切られるかもしれないもの」

というように表現されてしまうのか~……。

 

 

では、視点を少し変えて、地球には、愛が必要ですか?

と聞いてみました。

その「愛」とは、もちろん、先ほど宇宙が教えてくれた「愛」のことですが。

 

答えは、

「地球にとって必要というよりも、実のところは、人間が愛の状態を理想としているから、

それを追求していくだろう」

とのことです。

 

人は、宇宙が言っているような完全にすべてを受け入れる「愛」の状態が一番正しいに違いない、と、どこかでわかっているのだけれども、それを求める過程で、どこかズレてしまい、

自らの首を絞めるかのように苦しくなってしまっている、そう。

 

 

愛を手にしたいと焦りすぎ、そのせいで本当の愛ではない、もっと簡単に自分の手でどうにかコントロールできそうなものを愛と呼ぶことにしてしまったようです。

 

そして、勝手に思い描いた「愛」の状態を目標にし、状況を自ら操作をしていこうとするのだとか。

しかし、誰にも邪魔されないように四六時中、いろいろなところを見張っていなくてはいけないし、

状況が思いどおりにならなければならないほど気持ちが苦しくなり、

結果、「執着」というものになってしまうのだそうです。

 

そんなふうに、我々は本物の「愛」を回避して、自分の願望と「愛」とを取り違えて、

それを簡単に手に入れようとしているみたいです。

 

実はそっちのほうが難しいのに。

 

おまけに、本物の愛ではないから、手に入れることができたとしても、すぐに不幸を感じてしまうのに。

 

たとえば、

70歳の父親が「娘夫婦と一緒に暮らしたい」、娘がそうしてくれることが、

彼女から自分への愛の証明だと考えていたとします。

 

それを実現させるために、父親は、マンション購入時の頭金を出してやったり、一生懸命、野菜など作って娘の家に持って行ったり、度々電話などをするかもしれません。

 

しかし、共働きで忙しい娘夫婦にとっては、それはありがた迷惑でしかないかもしれない。

 

父親が近づこうとすればするほど、娘夫婦は離れて行ってしまうでしょう。

 

そうなれば、父親は、

「今までこんなにしてやったのに!」

と今、娘夫婦に対して恨みがましい気持ちになってしまうかもしれません。

 

 

あるいは、ムリヤリ父親が圧をかけて一緒に暮らすことが可能になったとしても、

それは誰の愛でもないわけで、父親にとっても娘夫婦にとっても、

毎日が不満の連続になるかもしれない。

 

 

けれども逆に、父親が遠くから何も言わなくても、ただ娘夫婦の幸せを願っていたら、

彼らは自然とその愛を感じとるに違いないのです。

 

そして、父親に直接、愛の証明を与えることはなかったとしても、彼が寂しいときに

側にいてあげることができなかったとしても、娘も父親にずっと愛を送り続けるでしょう。

はっきり形はなかったとしても、そこには愛が確かにあるのです。

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2017年

3月

09日

<アースタロット> Be Cool

CC BY-NC-ND 2.0 by Bill Hertha
CC BY-NC-ND 2.0 by Bill Hertha

「人間は、ただ在ればいい」

と、言われました。

 

これは、タロットカードを通して、

地球 (!?) に、

「地球にいま一番必要なものはなんですか?」

と質問した答えです。

 

「地球だってただ在るのだから、

ケニアにいるキリンだって、

北極にいるシロクマだって、

マタガスカルにいるカメレオンだって、

ただ在るのだから、

そのように

人間もただ在ればいい。

そうすれば 

" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモクしたもの "

が消え、

自然なかたちで地球と繋がっていることが

その時にこそしっかりとわかり

深く安らぐことができる」、

とのこと。

 

" 地球と人間のあいだにある邪魔な黒いモクモク "

とは、人間の余計な思考。

 

なぜそのような黒いモクモクを

我ら人間が無意識にも発してしまうかといえば、

「人間の視界が曇りすぎているから」。

 

 

例えば、

暗闇で後ろから誰かに、ぽん、と背を叩かれて

「ヒィ~~~!!!」

と叫びごえをあげ、

そのとき相手が、

「どうしたの!?、僕だよ!君の友達の木村だよ!」

と腕を掴んで教えられても、全く気がつかず

「ぎゃ~~~~~!!!!」と

叫び続け、手を振り払って転げながら逃げていくような…、

 

そんな恐怖に私たちはどっぷりとハマりすぎて、

本当のことは

何も何も見えなくなっているのだとか。

 

 

人間はすべて必要なものを

あらかじめ持たされて生きているのだから、

それ以上に自分の安全を守ろうとせず、

不安に陥らず、

ただ生を謳歌していればいいのに、、、

と、この世を総括している存在(宇宙)は言います。

 

「必要なもの」とは、

おそらく直感ということだと思いますが。

CC BY 2.0 by Georgie Pauwels
CC BY 2.0 by Georgie Pauwels

 

 

とにかく、地球としては、

「余計な重たいものを乗っけるのはやめてくれないか」

と言いたいみたいです。

 

「重たいもの」とは、

物理的な重量のことではなくて、

先ほどの " 黒いモクモク " のこと。

人間が思考上に持つ「余計なもの」。

 

人間の頭にぶら下がる黒いモヤモヤ…。

 

それは、考えなくてもいいことを

なぜか考えてしまう人間の無駄な思考なわけですが、

地球からするとそんなものは

果てしなく無駄なものであり、

人間にとっても地球にとっても

大きな負担となるのだそうです。

 

言うなれば、

地球と人間の間にはだかる邪魔なもの。

 

そのような不必要なものをぶら下げ

足を引きずるかのように歩いている人間の状態は、

宇宙や地球からしてみれば

理解不能なほどにナンセンス!

 

「人間は感覚的に遅れすぎている」

ひとことで言ってしまえば、

「クールではない」そうです。

 

しかし、我々人間は、

「いろいろな悩みや思考を持つことは遅れている」

などというふうには

一度も考えたことがないかもしれません。

 

四六時中いろいろなことが

頭の中で鳴り響いている。

それが人間にとってはごく自然なことです。

 

 だけど実はそれはとても不自然で

カッコ悪いことだとしたら、、、?

 

どうでしょう??

 

 

では、なぜ人間がそんなにも

地球が嫌がるほどの重たいものを頭にくっつけて

ぶらぶら歩きまわっているかと言えば、

「自分というものを偽って生きようとしてるから」

なのだそうです。

 

しかも、本当の自分を隠して生きているくせに、

「自分をわかってほしい」、

「あの人はわかってくれない!」、

「きちんと自分を受けれ入れてもらわないと!」

などと、まるで子供のように

叫んでいるような状態になっているのだそう。

 

そのジレンマいっぱいの頭の中で

多量のノイズを作り出し

地球と自分自身に負担を与えている。

 

さらに掘り下げてみれば、

「人間は間違えた夢を持っている、

ファンタスティックな夢を持たなくてはいけない、

そういう夢を持つことを自分に許せば、

本当の自分でいることができる」

と宇宙は言います。

 

「現実のサイズに合わせた夢ではいけない、

現実サイズの夢にすれば、

自らも現実サイズに

押し込めなくてはいけなくなってしまうから」。

 

ゆえに「自分を偽る」ということに

なっていってしまうのかも。

 

 

 

無意味にもがき、

悩まなくて良いところで悩み、

きれいに宇宙への電線が張られているところで

愚かにもヒステリックに騒ぎまくって

多量の無意味なノイズを作り出し…、

結果、

この世を恐ろしいステージだと考えてしまう人間の在り方は、

たしかに地球が言うように、

「非常に遅れているクールではない存在」

なのかもしれません。

 

 

聞こえないと思い込んでいるけれど、

きちんと必要な情報をキャッチする

直感というアンテナも持っているのに。

 

 

地球は、

何度言い聞かせてもわからず

勝手な恐怖を抱いて騒ぎ震えている人間に対して、

お手上げ状態にちがいありません。

 

しかし、

人間が頭の中でノイズを作り出すのを停止すれば、

地球としっかりつながることができそうです。

 

「ただ在る」ことにより、

地球と自然に充電しあうことができれば、

どんなことが起こったとしても

人間は恐怖など感じずに

乗り越えていくことができるそう。

 

そのように

「人間というものは、安全が完備されている存在」

と認識し、

そのことに自信を持った方がよい、

とのことです。

 

「君の肩をたたくのは

友達の木村くんであって、

強盗でも悪霊でも痴漢でもないのだから」。

 

それを恐怖にまみれて錯覚し、

怯えているなんて、ホントにホントにバカみたいです。

 

 

その虚構の世界を見続ける視界を破壊し、

いますぐクールな存在になるべき!

ではないですか?!

 

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2017年

2月

14日

<アースタロット>火について

CC BY-NC-ND 2.0 by Kai C. Schwarzer
CC BY-NC-ND 2.0 by Kai C. Schwarzer

両親が亡くなり、1年に数回、

実家に通って整理をしています。

いろいろな書類や写真が山のように出てくるたびに、

暖炉で燃やします。

 

ゴミに出すよりも

自分で決着をつけて整理ができる気がして、

暖炉があってよかったー!と

思うことがしばしば。

 

 

 

今回は、「火」について、

タロットを通して、

この世を総括している存在(宇宙?)に聞きました。

 

 

「火の元とは、

たくさんの停滞したエネルギーが寄せ集まっているもの、

だから変化(昇華?)させなくてはいけない」

そのために火がある、

とのことです。

 

 

この世からその形(重さ)を取り去り、

炎として燃えあがらせ、昇華していくことが必要だとか。

 

コントロールされ、作られた

苦しい形の中から自由になる、

エネルギーの資質が変化して宇宙に帰化する、

という感じでしょうか。

 

 

人間の身体も同じく、

父や母の魂が入っていた肉体も

燃やしてしまえば灰。

 

形から解放された両親は

私が想像もできないほど自由なんだろう思い、

うれしくなります。

CC BY-SA 2.0 by Hernán Piñera
CC BY-SA 2.0 by Hernán Piñera

 

宇宙が言うには、

停滞したものを燃やし尽くせば、

人間は直感だけで生きることができると言います。

 

実際の炎をたてて燃やさなくても、

火のエネルギーを使えば良いとのこと。

 

 

 

タロットでは、

ワンド(木の棒)のスートが火のエネルギーをも表現します。

 

その意味は、

ワクワク感や希望、パッション、

クリエイティヴィティ、などなど。

 

そういうもので燃やすことも、

火と同じように可能。

 

 

ダイエットの世界でも、

脂肪燃焼といいますし!

停滞したLowなものを

Highに昇華させるという点においては

実際の火の効果と

同じことになるのではないでしょうか。

 

 

そして、

Lowなものは、火の力によってのみ

Highな状態にいくことができる。

 

つまり、火は

”エネルギーの状態を変化させる”

ということになるのだと思います。

 

 

もうひとつ大事なことが。

 

Lowな状態のエネルギーというのは、

言うなれば

”閉じられた状態” のこと、

なのだそうです。

 

何かの形の中に収まっていることを

信じきってしまっている、

勝手に孤独を感じているようなものらしい。

 

たとえば、

肉体の中に入っている人間の魂もそうかもしれません。

 

この世の在り方を恐ろしいと思っていて、

その中で自分に害が及ばないように

どうにかうまく生きていかなくては、、、と

ヒヤヒヤしているのが

現代の普通の人間の状態だそう。

 

 

しかし、心にほんのちょっとでも火がついたら、

 

そしてそれがだんだん大きく燃える炎になっていけば、

 

知らず知らずのうちに

停滞のエネルギーが昇華されてゆき、

思い込みによって自分が作っていた枠が

薄れてなくなっていくのだそうです。

 

何かに向かって行きたいエネルギーが生まれ、

そこには、今まで感じていた

人生への恐れがなくなるらしい。

 

そうなればグングン健やかにエネルギーは伸びていって、

いろいろなものと楽しく絡み合うことが

できるのだそうですよ。

 

知らず知らずのうちに他者に影響を与え、

受けとり、

学びあう、

ということが無意識のうちに

ごくごく自然に行われるようになるのだそうです。

 

 

それはもう閉じられたエネルギーではなく、

開かれたエネルギーになっているということだそう!

 

 

これは、夢物語のように聞こえるかもしれませんが、

じつのところ非常に実際的であり、

人間の本来あるべき在り方、

これをすれば本当の意味で安定を得られます、

と宇宙は言っていました。

 

「火」とは、我々と無関係にあるわけではなく、

人間ならば誰しも持っている

クリエイティブな欲求というものを

太古の記憶から引き出させてくれるようなもの、

 

そのために炎を見つめなさい、

 

と宇宙は言います。

 

 

「これをこうしたらすてきになるかもしれない」とか、

「そうだ!あれを作ってみよう」などと

クリエイティブな気持ちになるとき、

火のエネルギーが

我々の中で立ちあがっているのだそうです。

 

それは

どす黒く停滞したものを

燃やす事ができるって。

 

火のエネルギーを立ち上げるということは、

変化する、という事なのだと思います。

 

 

なぜ今こんなにも "断捨離" が流行しているかと考えてみれば、

便利なもの、あるいはいらないものを排除して、

「クリエイティブになりたい」、

ということなのではないでしょうか。

 

そしてそれを実行するということは、

イコール「変化」していく

ということになるのだと思います。

CC BY 2.0 by Phil Dolby
CC BY 2.0 by Phil Dolby
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2017年

1月

09日

<アースタロット>花について

CC BY 2.0 by Nobuyuki Kondo
CC BY 2.0 by Nobuyuki Kondo

今日、夕飯のサラダを作っていたとき、

突然、今回のテーマは「花」がいいんじゃないかと閃きました。

 

そういえば、なぜ今までやっていなかったんだろう、花。

 

 

原発事故の後、道を歩いているとき、

野花が咲いているのを見て、心が痛かったです。

目には見えないけれど

 

放射能がたくさん降っているにちがいないのに

花はそれでも可憐にけなげに咲くんだな、

と思ったことを覚えています。 

 

この世を彩る花々。

 

結婚式、お葬式、お祝い、

我々の儀式にもいつも花が使われています。 

 

花を見て慰められたり、

インスピレーションをもらったり、 

 

だけど、この世に花がある意味は何?

我々を楽しませてくれるため?

世界を彩るため?

CC BY-NC-ND 2.0 by Daniel Horacio Agostini
CC BY-NC-ND 2.0 by Daniel Horacio Agostini

花のエネルギー

原発事故のとき、花を見て心が痛かったのは、

花は動くことができないからなのでした。

我々人間は、環境が悪くなれば

そこから逃げようと思えば逃げる事ができるのに、

花はどこにも動けず、

そこで咲いていなくちゃいけないなんて!

なのに、あんなにけなげに可憐に咲いている、、、。

 

 

しかし、花のエネルギーを

カードに降ろして聞いてみますと、

花は常に

「今いる場所で満足」だそうです。

どんなときも。

 

花は、自分が大丈夫だということを知っているから。

宇宙と同じ目線でいるので

危険がないのだそうです。

 

我々人間のような三次元的思考で

不安を膨らませ、勝手に魔界を作り、

自分をあえて不幸にしたりはしない。

 

常に高波動でいるために

低い波動からの害を一切受けることがない、

という感じでしょうか。

 

だからおかしな同情なんて

花には一切不要なんだそうですよ。

 

 

そんな花(のエネルギー)が言うには、

人間は花を最大に利用していない、

とのこと。

 

人間はかなり低い波動で

花というものを扱っているそうで、

花としては、

人間が何を一体求めているのかな、は~~。。

といった感じです。

 

つまり、人間は花のことを(も?)ぜんぜん分かっていない

ということ。

花はファンタジー

じゃあ、花っていったい何なの?

と、この世を総括している存在(宇宙?)に聞きましたところ、

 

花は ”ファンタジー” なんだそうです。

 

そんなこと薄々人間だって分かっているけど、、、。

 

しかし宇宙が言うには、

人間の花に対する ”ファンタジー” の概念自体が

ちょっと違うのだそうです。

その規模がちがうと言いますか。

 

次元が変わってしまう勢いで、

人間は花のファンタジーを完全に信じて

もっと深く酔いしれなくてはいけない。

 

なぜなら、そのファンタジーは

宇宙からのブランド印を押されて保証された

「完全にリアル」なものだから、

現実逃避とかそういう問題ではない。

 

人間がクサクサした思いを抱いている現実のほうこそが

じつは趣味の悪い妄想のようなファンタジーであり、

宇宙から見れば ”完全に非現実” なのだそうです。

ありもしない妄想の世界に浸り込んで

自ら好んで地獄を見ている…かのような。

 

 

花が表現するファンタジーこそが

ほんとうのこの世界のリアル。

それをしっかりと見なくては!

 

そして、人間は花と同化したエネルギーになればいい、

とも宇宙は言っていました。

 

ファンタジーそのものになれということ?!

花のパワー

人間には花が与えられています。

 

誰かからのプレゼントだったらうれしいけれど、

そうでなくても、

そこらへんに咲いている花や、

自分のものじゃなくてもあなたが目にする花々は、

じつは、、

すべてあなたへの宇宙からのプレゼント!

ということなのだそうです。

 

そんなプレゼントをもらえるあなたは

本当に尊い存在なのですよ!!!

ということらしい。

 

そのことを知るだけでも

突然前向きになれるでしょう?

と宇宙は言ってました。

 

つまり、花は我々人間に、

自分が本当に尊いもの、だという価値を

気づかせてくれる存在。

 

 

 

そして、花を見ただけで人間は

恨み節や後悔や、意味不明なクサクサした思いから

さりげなくもあっさりと卒業することができる!

と、宇宙は断言します。

 

花を見つめている瞬間の人間というものは、

それまでどんなにモヤモヤと

ネガティブなことを考えていても、

それを後ろに置きざりにすることができる!

はずなのだそうです。

 

 

それは花にパワーがあるというよりも

花を見ると

自然と人間はそのような状態になる、

魔法のようなものが存在する

と言ったほうが近いのかもしれません。

 

そのすてきな魔法をかけてくれるために、

花はありえないほど摩訶不思議な

神秘なかたちや美しさを

あたりまえかのように持っているのだそうです。

 

 

 

悲しいとき、心が苦しいときは

花を買って帰りましょうか。

 

 

そして、花瓶に生けて、

本当にきちんと花を見つめて

ファンタジーに酔いしれることを

試してみる価値があります。

 

 

そしてそのファンタジーの感覚でいる世界こそが

この世のあるべき本当の世界、

宇宙と完全に波長が合った状態

なのだそうですから。

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