被災地復興のモデルとなるか!? 田野畑村番屋エコツーリズム

浜から見た番屋群
浜から見た番屋群

 東日本大震災はこの記事の主役となる岩手県田野畑村にも大きな損害を与えた。


 地震の揺れこそ大きくなかったものの、それによって起きた大津波によって、死者・行方不明者が40人、漁船565隻中の512隻、漁協事務所、魚市場、養殖施設などが流失し、400人以上の人が仮設住宅での生活を余儀なくされることになった(ウイキペディア参照)。

 この村が震災前、観光資源として目をつけたのが、漁師たちが作業小屋などとして利用する番屋や、ウニやアワビなどの漁に使う小型漁船のサッパ船だった。地元に住む人にとってみたら、当たり前過ぎて何が魅力かわからないのだが、都市からの観光客にとってみたら、海岸にへばりつくように存在する番屋のエキゾチックさや、絶景が続く陸中海岸の波を切って走るサッパ船での冒険は、他では体験できない。

 

 そのギャップをうまく生かして生まれたのが番屋エコツーリズムだった。

 

漁労文化を紹介する番屋内部
漁労文化を紹介する番屋内部

 地域の暮らしをそのままに、多様な年代がスタッフとして参加するサッパ船アドベンチャーズや貝殻アート、採れたてのウニ、ワカメ、ホヤなどを自らさばいて味わう番屋料理などが話題となり、平成19年度には「エコツーリズム大賞特別賞」を受賞した。すごく順調なすべり出しだった。だが、自然は残酷だった。今回の大津波がそのすべてを奪ってしまったのだ。人気プログラムとなっていたサッパ船、そして、活動拠点でもあった机浜番屋群のほとんどが流失した。


 だが、落ち込んでばかりではない。

 田野畑村は復旧に向けていち早く動き出す。他の地域に先がけて被災者を雇用して住民の手によるがれきの撤去を始めたのだ。それは現地を訪れたボランティアが見事に片づけたがれきに感動を驚えるほどの素早さだった。

漁師さんの指導のもと、海の幸の自らが調理
漁師さんの指導のもと、海の幸の自らが調理

 そして番屋エコツーリズムの再生も始まった。

 

 大震災からわずか4ヵ月、サッパ船アドベンチャーズ、貝殻アート、北山崎ネイチャートレッキングガイドなどの事業を実施できるまでに復活させてしまう。

 

 今後、国全体の成長ビジョンを踏まえた復興プランを描く中央に対して、とにかく以前の暮らしを取りもどそうとがんばる地方のにらみ合いが続く。今回の復興はその両極に大きく揺れることになると思う。だが、福島第一原発の事故が私たちに見せつけたのは、過疎化に悩む地方の弱みにつけ込んで原発を導入させ、補助金漬けにして地域の自立を阻む中央のあり方だった。原発を受け入れた自治体が現在抱える苦悩は、そうした地方のあり方に「チェンジ!」突きつけるメッセージだとも言えるだろう。

こうした自然をどう生かすか?日本人の知恵が試されている。
こうした自然をどう生かすか?日本人の知恵が試されている。

 現在の少子高齢化傾向のままでは、戦後のような勢いを取りもどすことはない。GDPの2倍はあると言われる国の借金。これまでのような借金による公共工事に依存する復興だけでは、将来世代に大きな禍根を残すことになるだろう。田野畑村の人々が都市側の人たちと発見し、自らの手によって番屋エコツーリズムをつくったように、その地に眠っている文化、伝統、自然を見つめ直し、自らの手によって等身大の物語をつくり出していく歩みこそ、新しい復興のベクトルではないかと思う。人命に関わる復旧を速やかにこなした後は、そうした歩みを応援し、本当の魅力を一緒に発見してあげることが、重要なのだろう。

 

 被災地にいない人々ととって、何に使われるかわからない寄付金は、そろそろメッキがはげてくる頃だ。エコツーリズムとして、自分らも楽しみ、学び、舌鼓を打てる旅なら、何度も訪れ、人も誘い、地元の人たちとの交流も生みやすい。田野畑村の取り組みは、被災地の復興に向けた、ステキなモデルとなると思うのだが、みなさんはどう思うだろうか。

 

体験村たのはた 番屋エコツーリズム

*この記事に使用した写真は震災前に取材したものを使っています。

 

取材・文:上岡 裕

 

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