エコ生活にはコットン布団がよく似合う!

2012年

5月

07日

第10回 未来を見つめる若い人たちとともに

コットンの婚礼蒲団

 

 ワタの実物見本を見ていただきにお伺いしたのは木の香染みる工務店さんでした。お持ちしたワタは特徴の異なる次の3種類のワタです。

 

☆オーガニックコットンわた

☆コットン100%ワタ

☆OyamatsuBlendコットンわた

 

 メールをいただいたお嬢さんとお母さんにお迎えいただき、早速お部屋にお邪魔して、ワタをご覧いただきました。3種のワタはすべて綿100%ですが触っていただくと違いはすぐにわかるものです。

 

 ワタに触っていただきながら各ワタの特徴を説明しました。オーガニックコットンのこと、長繊維綿と短繊維綿、和棉のことなどお話しすると、お嬢さんの結婚にあたり、新生活で使う上質のコットン布団を作りたいというご相談でした。

 結婚で嫁ぎ先に持っていく布団は一昔前までは「婚礼蒲団」として特別な意味を持っていたものでした。それは他家へ嫁ぐ娘に持たせる家具や衣類、食器など、いろいろの婚礼道具の中で、布団は基本となるもので、はずすことのできないものだったからです。親許から飛び立つ娘の幸せを願う母の思いが、一番込められたものが布団だったからです。布団と座布団や枕など新婚生活のための寝具一式は「婚礼蒲団」として一生に一度の特別な布団だったのです。

 

 お嬢さんから「和綿でも作れますかと」と聞かれました。聞けばこちらでも和綿を少し植えているとのことでした。和棉で作ることもできないわけではありませんが、敷布団と掛布団2組分の和棉ワタを集めるには時間がかかること、それに金額もかなり高額になってしまうことをお話ししました。

 

 お嬢さんは間もなく、空き家になっている農家を改修した新居で、彼との新生活を始めるとのことでした。和棉ももっと植えてみたいと夢を聞かせていただきました。

 

 昨年秋にも、奄美大島で新生活を始めるお嬢さんの布団を作らせていただきました。こうして未来をしっかり見つめて新しい旅立ちをなさる若い方々とのご縁が続いています。

 

母と娘の絆となって

 

 昔、農家では娘が生まれるとワタの栽培を始めたといいます。そして成長してお嫁に行く時まで毎年収穫し、20年近くの歳月を経て蓄えたそのワタで、糸を紡ぎ、布を織り、そしてワタを打って「婚礼蒲団」を作り上げ、嫁ぐ娘に持たせたのです。

 

 当時は家族の布団作りは母親の役目でしたから、婚礼の布団を作るときも、母はワタを広げながら「そっち側持って」とか「もっと引っ張って」とか言いながら布団の作り方を娘に教えたのです。ですから婚礼蒲団には母の思いがぎっしり詰まっていたのです。

 

 現代では婚礼蒲団を家庭で作ることはほとんどなくなりましたが、それでも平成に入る前ごろまでは、寝具店に母娘で訪れて、ワタ選びのアドバイスをしながら注文していただいたものです。

 

 今でも打ち直しワタをお預かりするときに「母がワタを選んで持たせてくれた布団だから捨てられないの」というお話をよく聞きます。また、生地がだいぶ傷んだ布団でも、ワタは打ち直して、生地の一部も座布団や赤ちゃんの布団などに縫い合わせて使いたいというご注文をよくいただきます。皆さんにとって婚礼蒲団が母と娘の絆の証となって使い続けられているのです。

 

コットンふとんは若い人たちには新商品

 

 コットン布団は私どもにとっては本来の布団への回帰なのですが、大量生産で作られた化学合繊ワタの布団しか知らない若い方々には新発見になるようです。全部自然素材で出来ている布団なんて、まるで新鮮な新商品に出会ったように感動していただくこともしばしばです。

 

 そして、打ち直しというリサイクルシステムがあることもお話しすると、もうコットン布団ファンになっていただけるのです。

 

 コットン布団は打ち直して繰り返し使え、そして最後に捨てられても自然に還っていきますから「地球を汚さない布団」なのです。エコロジーライフにはコットンふとんがよく似合うのはこのところのことでもあります。

 

 ベット生活の方にコットン布団は馴染みにくいところがあるかも知れません。一般にはホテルなどで使われている薄いキルテングのパッドを敷いている方がほとんどです。その方々はコットンの敷ふとんはぶ厚く重いイメージを持っていたようで、重そうに感じることがあるかも知れません。しかし一部の高級ベッド以外のほとんどはクッション部の中の巻き物が化学繊維や発泡ウレタンです。せめて上の敷パッドには自然由来のものをお使いいただきたいと思います。ベッドパッドには和風の敷ふとんの半分ぐらいの厚さのコットン布団をお勧めしています。

 

 若い人たちばかりでなく、そうした新しい暮らしをすでに実践し、自然農やオーガニックな生活を満喫なさっている、まさに新しい暮らし方のトップランナーのお母さんたちもたくさん知っています。こんな素敵な人たちとの出会いも、コットンが取り持つご縁なのでしょう。こんな幸せな仕事をさせていただいているのです。

 

コットンふとんは寝具店の独占商品

 

 今デパートやス―パーに行ってもコットン布団は売っていません。もうコットン布団は町の寝具店でしか買うことが出来ないものになってしまいました。ところが最近になって昔からのコットン布団の良さが見直されてきているのか、大量生産された合成繊維のふとんでは満足できない方々が増えてきているように感じます。このことはさすがに大手メーカーさんでも気づいたようで、友人の製綿工場に某大手有名メーカーさんからコットン布団を扱いたいという打診があったそうです。現在では正規のコットンふとんは大手メーカーさんの大工場では作ることが出来ない時代になっているのです。それはコットン布団が自然由来素材のため均質な流れ生産に馴染まないためです。

 

 ですから、本物のコットンふとんは町のふとん店だけが作れる専売品になり、百貨店とも、大型スーパーとも競合することのない独占商品になりました。ようやく価格だけの安値競争の外にコットンふとんは残ることが出来るようになりました。

 

 大型量販店との価格競争の中から抜け出した町の寝具店は、これからそれぞれお店独自のポリシーと技能を磨きながら、価格競争ではなく、品質競争で競う方向に向かうのではないでしょうか。この品質競争は素材や技能とともに、商品に込められた店主の思いが問われることになりそうです。

 

 世の中のエコロジーへの大きな流れの中で、寝具店の役割を見つめ直した時、大きな役割があることが見えてきました。それはコットン布団を通して、町の寝具店が地産地消や循環型社会と密接に繋がっていることです。まさにサスティナブル社会に最も近いところに寝具店が存在していたのです。

 

 そしてそのことは未来を見つめる若い方々と思いを共有することです。それが地域社会の中でお店の存在価値を高めていくことになり、なくてはならないお店と認められるようになっていくことです。そのことにいち早く気づいた元気な寝具店さんが全国で続々と増えてきています。(つづく)

 

*コットン布団のこと、打ち直しのことは、お近くの寝具店にお問い合わせください。

 《参考》全国打ち直し取扱店の一部:http://www.ecofuton.com/re/frs.htm

 

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07日

第10回 未来を見つめる若い人たちとともに

コットンの婚礼蒲団

 

 ワタの実物見本を見ていただきにお伺いしたのは木の香染みる工務店さんでした。お持ちしたワタは特徴の異なる次の3種類のワタです。

 

☆オーガニックコットンわた

☆コットン100%ワタ

☆OyamatsuBlendコットンわた

 

 メールをいただいたお嬢さんとお母さんにお迎えいただき、早速お部屋にお邪魔して、ワタをご覧いただきました。3種のワタはすべて綿100%ですが触っていただくと違いはすぐにわかるものです。

 

 ワタに触っていただきながら各ワタの特徴を説明しました。オーガニックコットンのこと、長繊維綿と短繊維綿、和棉のことなどお話しすると、お嬢さんの結婚にあたり、新生活で使う上質のコットン布団を作りたいというご相談でした。

 結婚で嫁ぎ先に持っていく布団は一昔前までは「婚礼蒲団」として特別な意味を持っていたものでした。それは他家へ嫁ぐ娘に持たせる家具や衣類、食器など、いろいろの婚礼道具の中で、布団は基本となるもので、はずすことのできないものだったからです。親許から飛び立つ娘の幸せを願う母の思いが、一番込められたものが布団だったからです。布団と座布団や枕など新婚生活のための寝具一式は「婚礼蒲団」として一生に一度の特別な布団だったのです。

 

 お嬢さんから「和綿でも作れますかと」と聞かれました。聞けばこちらでも和綿を少し植えているとのことでした。和棉で作ることもできないわけではありませんが、敷布団と掛布団2組分の和棉ワタを集めるには時間がかかること、それに金額もかなり高額になってしまうことをお話ししました。

 

 お嬢さんは間もなく、空き家になっている農家を改修した新居で、彼との新生活を始めるとのことでした。和棉ももっと植えてみたいと夢を聞かせていただきました。

 

 昨年秋にも、奄美大島で新生活を始めるお嬢さんの布団を作らせていただきました。こうして未来をしっかり見つめて新しい旅立ちをなさる若い方々とのご縁が続いています。

 

母と娘の絆となって

 

 昔、農家では娘が生まれるとワタの栽培を始めたといいます。そして成長してお嫁に行く時まで毎年収穫し、20年近くの歳月を経て蓄えたそのワタで、糸を紡ぎ、布を織り、そしてワタを打って「婚礼蒲団」を作り上げ、嫁ぐ娘に持たせたのです。

 

 当時は家族の布団作りは母親の役目でしたから、婚礼の布団を作るときも、母はワタを広げながら「そっち側持って」とか「もっと引っ張って」とか言いながら布団の作り方を娘に教えたのです。ですから婚礼蒲団には母の思いがぎっしり詰まっていたのです。

 

 現代では婚礼蒲団を家庭で作ることはほとんどなくなりましたが、それでも平成に入る前ごろまでは、寝具店に母娘で訪れて、ワタ選びのアドバイスをしながら注文していただいたものです。

 

 今でも打ち直しワタをお預かりするときに「母がワタを選んで持たせてくれた布団だから捨てられないの」というお話をよく聞きます。また、生地がだいぶ傷んだ布団でも、ワタは打ち直して、生地の一部も座布団や赤ちゃんの布団などに縫い合わせて使いたいというご注文をよくいただきます。皆さんにとって婚礼蒲団が母と娘の絆の証となって使い続けられているのです。

 

コットンふとんは若い人たちには新商品

 

 コットン布団は私どもにとっては本来の布団への回帰なのですが、大量生産で作られた化学合繊ワタの布団しか知らない若い方々には新発見になるようです。全部自然素材で出来ている布団なんて、まるで新鮮な新商品に出会ったように感動していただくこともしばしばです。

 

 そして、打ち直しというリサイクルシステムがあることもお話しすると、もうコットン布団ファンになっていただけるのです。

 

 コットン布団は打ち直して繰り返し使え、そして最後に捨てられても自然に還っていきますから「地球を汚さない布団」なのです。エコロジーライフにはコットンふとんがよく似合うのはこのところのことでもあります。

 

 ベット生活の方にコットン布団は馴染みにくいところがあるかも知れません。一般にはホテルなどで使われている薄いキルテングのパッドを敷いている方がほとんどです。その方々はコットンの敷ふとんはぶ厚く重いイメージを持っていたようで、重そうに感じることがあるかも知れません。しかし一部の高級ベッド以外のほとんどはクッション部の中の巻き物が化学繊維や発泡ウレタンです。せめて上の敷パッドには自然由来のものをお使いいただきたいと思います。ベッドパッドには和風の敷ふとんの半分ぐらいの厚さのコットン布団をお勧めしています。

 

 若い人たちばかりでなく、そうした新しい暮らしをすでに実践し、自然農やオーガニックな生活を満喫なさっている、まさに新しい暮らし方のトップランナーのお母さんたちもたくさん知っています。こんな素敵な人たちとの出会いも、コットンが取り持つご縁なのでしょう。こんな幸せな仕事をさせていただいているのです。

 

コットンふとんは寝具店の独占商品

 

 今デパートやス―パーに行ってもコットン布団は売っていません。もうコットン布団は町の寝具店でしか買うことが出来ないものになってしまいました。ところが最近になって昔からのコットン布団の良さが見直されてきているのか、大量生産された合成繊維のふとんでは満足できない方々が増えてきているように感じます。このことはさすがに大手メーカーさんでも気づいたようで、友人の製綿工場に某大手有名メーカーさんからコットン布団を扱いたいという打診があったそうです。現在では正規のコットンふとんは大手メーカーさんの大工場では作ることが出来ない時代になっているのです。それはコットン布団が自然由来素材のため均質な流れ生産に馴染まないためです。

 

 ですから、本物のコットンふとんは町のふとん店だけが作れる専売品になり、百貨店とも、大型スーパーとも競合することのない独占商品になりました。ようやく価格だけの安値競争の外にコットンふとんは残ることが出来るようになりました。

 

 大型量販店との価格競争の中から抜け出した町の寝具店は、これからそれぞれお店独自のポリシーと技能を磨きながら、価格競争ではなく、品質競争で競う方向に向かうのではないでしょうか。この品質競争は素材や技能とともに、商品に込められた店主の思いが問われることになりそうです。

 

 世の中のエコロジーへの大きな流れの中で、寝具店の役割を見つめ直した時、大きな役割があることが見えてきました。それはコットン布団を通して、町の寝具店が地産地消や循環型社会と密接に繋がっていることです。まさにサスティナブル社会に最も近いところに寝具店が存在していたのです。

 

 そしてそのことは未来を見つめる若い方々と思いを共有することです。それが地域社会の中でお店の存在価値を高めていくことになり、なくてはならないお店と認められるようになっていくことです。そのことにいち早く気づいた元気な寝具店さんが全国で続々と増えてきています。(つづく)

 

*コットン布団のこと、打ち直しのことは、お近くの寝具店にお問い合わせください。

 《参考》全国打ち直し取扱店の一部:http://www.ecofuton.com/re/frs.htm

 

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2011年

12月

26日

エコ生活にはコットン布団がよく似合う  第9回、真の文明を求めて

だから言ったじゃないか!

 

 「だから言ったじゃないか」とはこのことです。前回の本稿で、テレビコマーシャルが原子力発電まで「地球にやさしい」と言い出したことに呆れて、これからはうちで作っているコットン布団には、地球にやさしいを使わないことにしたと書きました。あれを書いたのは2月のことです。まさに「だから言ったじゃないか」を3.11は実証してくれました。何度も放射能の危険が警告されていたのに「絶対事故は起きない」と言い張った結果が、「言わんこっちゃない」ことになりました。

やさしさ比べで布団を選ぶ(2011年3月1日)

 

 3.11の大災害からもう9カ月余が過ぎました。この9ヶ月間は皆さんと同じように何も手につかないで、ハラハラドキドキのまま時が過ぎてしまいました。この連載もすっかり間が空いてしまいました。

この大災害を引き起こした津波映像の恐ろしさと、被害の悲惨さに心が痛み、打ちひしがれている間にも原発の爆発で飛び散った放射能は千葉県の我が町にも降りかかってきたではありませんか。まして原発に近い福島の皆さんにとっては、身に降りかかる放射能の恐怖ばかりでなく、避難中のご苦労からこれからの生活設計まで、そのご心労はいかばかりかと想像するだけでも胸が痛みます。津波は天災ですが原発は人災です。だから言ったじゃないか原発は危ないって! 

 

明治の鉱毒事件を思う

 

 放射能汚染が広がり、原発付近の町の人々の避難が始まった時、ハッと思い出したのは今からおよそ120年前、明治年間に渡良瀬川流域で起きた足尾銅山鉱毒事件です。足尾銅山の精錬所から流れ出た鉱毒により、渡良瀬川流沿一帯の栃木、群馬、埼玉、茨城4県の農業地帯の作物に被害が広がりました。しかし農民たちの抗議行動にもかかわらず、銅山は操業を止めることなく鉱毒を流し続けたのです。

 

 被害地域一帯の農民の窮状を見かねて立ち上がったのは、時の衆議院議員、田中正造です。正造は議員として国会で鉱害農地の被害状況を訴えるとともに、銅山廃坑と農民救済を何度も政府に迫りました。しかし産業振興を国策としていた政府はいつまでも有効な対策をとることをしませんでした。

 

 正造は最後の手段として議員を辞職し、明治天皇の行幸に合わせ決死の直訴をはかりました。この直訴は護衛に阻まれて成りませんでしたが、この事件が当時の新聞で大きく伝えられたことで次第に世論が高まり、時を経て渡良瀬川の氾濫防止のために作られた遊水地が現在の谷中湖です。渡良瀬遊水池とも言われています。しかし鉱毒を氾濫させないための河川改修によって湖底となり、立ち退きを迫られたのが谷中村の村民でした。正造は最後まで村民と行動を共にして生涯を閉じました。

 

 足尾の鉱毒は100余年後の今日でもまだ作物に痕跡を残しているといわれます。しかしそれを言うと価格が下がるので農家の人は黙っているのだそうです。福島の原発放射能はまだ収束していません。福島から避難されている方々を難民と言うのは辛いのですが、やがて生活再建には程遠いお金と引き換えに関心が薄れてしまうのではないかと心配でなりません。それは棄民に通じることです。福島の人たちが生まれ故郷に戻れるのは何時になることでしょうか。

 

真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし

 

 100余年前、足尾の鉱毒事件に対して田中正造が語ったこの言葉が今日に蘇っています。

 去る10月1日、栃木県佐野市で田中正造没後100年の記念講演会が催されました。正造が100余年前に「デンキ開けて世見暗夜となれり」と警鐘していたことを知り、その先見性に感嘆したところです。

 

 明治年間に起きた足尾鉱毒事件の真相を知るほど、あらためて現代の福島原発事故とあまりの同一性に驚いています。まさに福島の原発難民の姿は鉱毒に汚染された流域一帯の農民と、谷中湖造成で棄民された谷中村村民の悲劇そのものの様相を呈してきました。谷中村の何千倍の規模において正造の警告は現実になりつつあります。

 

 この原発災害で山川草木、そして海も汚され、人々の暮らしは日々破られています。持続可能社会への転換が急がれる中で起きたこの人災は、近代工業化文明が「真の文明」にあらざることをはっきり証明しています。3.11人災の悲劇が持続可能な新たな文明への転換を促すことに繋がることを願ってやみません。

 

 3.11からの心の整理にはベストセラーなった「慈悲の怒り」上田紀行(朝日新聞出版)がありますが、さらに一歩踏み込んで私たちが今何をなすべきかを問いかけているのが、「真の文明は人を殺さず」小松裕(小学館)です。前書が天災の悲しみと人災の怒りを仏教の慈悲の心を通して語っているのに対して、本書は国会議員の身を捨て、被害農民救済に立ち上がった正造の足跡を丁寧に辿り、明治の鉱毒事件と今回の原発事故を比べながら、正造の言う真の文明への道を探ろうとしています。

 

 著者は「どうしてもっと早く田中正造の思想をたくさんの人々に伝える努力をしなかったのだろうか(中略)正造の思想には近代文明そのものに対する痛烈な批判と、それを克服していく道筋に関するヒントが存在している」と語っています。

 

 平成の人々に降りかかるこの苦難を「先生、どうしたらいいのでしょうか?」と正造に問いかけたら、「それはお前たちがしでかしたことではないか」と言われそうですね。

 

わたを植えて真の文明への夢を見る

 

 近代工業化文明が人々を豊かにする文明でなかったことがわかって、いよいよコットンの出番です。

 千葉市にある週末ファーマーズクラブ農園の和棉畑では、12月中旬の今でもコットンボールがまだ弾けています。和棉の栽培もかれこれ10年近く続けていますが、それは衣料品の原料として人間の暮らしと切っても切れない関係にあるのが「わた」であり、わたにまつわる技能や伝統が私たちの文化だからです。わたと文明は切り離せないものだと思うからです。

 

 コットン原綿は輸入品との大幅な価格差によって、国内栽培はほとんど絶滅し、自給率は0%になっています。しかし日本にも古来から伝わる和わたがあったのです。前にお話ししましたが、鴨川和棉農園の田畑健さんの和綿の種を守ろうという呼びかけにこたえて、全国各地で、それぞれの地域に適した和綿種の栽培が復活し始めてきました。それはわたを通して、真の文明の炎を絶やしてはならないという皆さんの思いがつながってきたことでもあります。

 

 いま、田んぼや畑はたくさん遊んでいるのに食料自給率は半分にも至っていません。山には杉の森がたくさんあるのに大部分の木材は輸入されています。このようにコットンだけでなく、生活の基盤である衣食住の大部分を海外に頼っていることも忘れてはならないと思います。

 

 私は先の大戦の後の食糧難のことを覚えていますから、このように衣食住を他国に頼って暮らしていることが不安でなりません。いくらお金を積み上げても食べ物を売ってもらえない時代がそのうち必ず来ることが目に見えるようにわかります。産業優先の経済社会のしわ寄せがこのように暮らしの大元である衣食住のところで起きていることに早く気付いてほしいと思います。

 

しあわせのコットンボールプロジェクト

 

 それでは自分は何をなすべきかと考えた結論が和棉の栽培です。自分の関わりの中で自信を持って出来る唯一のことがこれでした。最早絶滅寸前になっていた和わたを植えることがわた屋の原点還りになり、新たな始まりにもなると考えたのです。

 

 ちょうど栃木県藤岡町の「しあわせのコットンボール」プロジェクトが始まった時でした。私どもも同業の寝具店の仲間たちと東京江東区の木場公園で2004年春「江東プロジェクト」としてコットン栽培を開始しました。その年秋にはコットンボールの収穫に合わせて「蘇るわたの文化」―本当の豊かさを求めて―を開催しました。わたの栽培は、昨年より千葉市の週末ファーマーズクラブ和綿畑と2ヵ所で続けています。

 

 わた屋がわたを植えてみると、思いもよらない広がりの世界がみえてきました。何よりも同じ道を行く多くの仲間たちと出会うことができました。そのわた製品のコットン布団がエコロジーな暮らしを支える道に通じていることに確信を持てるようになりました。そしてもう一つは、グローバルな競争社会の中で町の商店の生き残る道を見付けることにもなりました。

 

 栃木県のしあわせのコットンボールプロジェクトはその後大きく活動を広げ、収穫した和棉で「和綿Tシャツ」を完成しました。純日本産のこのTシャツの一部はYMOのサイン入りTシャツでオークションに懸けられ話題にもなりました。また現在は「渡良瀬エコビレッジ」と改称して幅広い活動を続けています。

 

 真の文明などと言うのはおこがましいのですが、コットンを愛するみなさんの目指しているところがだんだんと見えてきたように感じてきたところです。(つづく)

 

■お知らせ■

第2回「ふとん作りワークショップ」参加者募集!

開催日:2012年2月4日(土)~5(日)(1泊2日)

会 場:「自然の宿くすのき」南房総市和田町

昔の主婦は家族の布団作りを楽しみにしていました。そんな暮らしを思い起こしながら本格的な座布団と敷布団を作り上げるワークショップです。出来上がった布団はお持ち帰りいただけます。ご参加をお待ちいたします。

詳しくは「楽しいふとん作り」の「ワークショップ」ページをご覧ください。お問い合わせと申し込みは親松寝具店へ。

 

 

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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2011年

3月

01日

やさしさ比べで布団を選ぶ

安っぽくなった「地球にやさしい」もの

 

 テレビコマーシャルでは、原子力発電はCO2を出さないから「地球にやさしい」と言っています。本当に原発はやさしいでしょうか。それならもっと恐ろしい放射能はどうなんだと聞きたくなります。「地球にやさしい○○」といういう言葉が独り歩きしていて、どこにもここにも「やさしい」品物がいっぱい溢れていますが、やさしさの価値も年々安っぽくなってしまいました。

 地球にやさしいといいますが、そもそも地球という大自然に対して、人間があたかも保護者のごとく語っているのが間違いです。美しい自然を汚したのは人間です。地球はやさしくしてくれとは言っていません。大自然は人類の行為の結果を見せてくれているだけです。

 地球にやさしいという言い方は使いやすいので、つい安易に使ってしまうのですが、それがとうとう原発と一緒にされるようになってしまいました。もう使うことはできません。やさしいに代わるもっと厳しい、もっと純粋な伝え方はないものでしょうか。

 これからのあらゆる商品には、環境に負荷を与えることのない、持続可能な循環性が求められています。ゴミにならない、捨てられても土壌を汚さない、自然界のサイクルに乗って循環し続けるものでなければ真の「やさしい」と言えません。

 その意味ではコットン布団は持続可能布団です。持続可能性をサスティナブルと言っていますが、それなら「サスティナブル布団」ということになります。サスティナブルは地球の環境を維持、継続して未来に残していく意味と聞きました。まさにコットン布団にピッタリきました。サステナブルはもっと広い意味がありますからサステナブル寝具の方がいいかも知れません。

 

健康だけでは人にやさしくない


 「地球にやさしい」と一緒によく使われているのが「人にもやさしい」です。人体に有害な汚染物質が入っていない、あるいは健康に良い、安全、という意味で使われています。しかし個人の健康だけでなく、コミュニティー豊かな社会が伴ってこそ幸せなやさしい社会は成り立ちます。

 「人にやさしい」が個人の健康や安全のことだけを指しているのなら、これまた安っぽいやさしさといえます。やさしさは心の状態です。病んでいる人でもやさしい人はいますし、健康で強い人でもやさしくない人もいます。本来のやさしさには、社会全体が維持、継続されていくための共存、共生という積極的な意味が含まれなければならないと思います。

 サスティナブル社会でのやさしさは、地球環境に負荷を与えない製品を選ぶとともに、そこで作られる製品は、作った人も、売った人も、それを買って使う人も、その製品に関わる全ての人にやさしいものになるのではないでしょうか。

 サスティナブルは人類が生存していくための必須の要件のことです。いや人間だけでなく、地球上のすべての動植物が持続して共存できる生物多様性社会のことではないでしょうか。そうなるとやさしいなどという情緒感覚では伝え尽くせない、もっと厳格性を伴ったものになります。人類のこれからの生き方、暮らし方を問いかけているのがサスティナブルではないでしょうか。

 

コットン布団は持続可能社会の優等生


 私どもの作っている布団については特に大型商品ですから、耐用期間を過ぎた後、どのような回収ルートを辿って最終到達点に至るか、またそのルートの環境負荷のことも確認しておかなければなりません。

 ご承知の通り、寝具類のほとんどを占める布団は有料の粗大ゴミ扱いの分類になっていて、この制度が始まって以来常に粗大ゴミの中で一番多量の排出物になっています。ですからゴミの減量化を進める上で廃棄布団の減少は大きな比率を占めています。

 その点では私どもの業界で続けている「布団打ち直し」というリサイクルシステムは、使い続けた布団を何度でも再生して使い続けることができます。打ち直しは今日でも全国の寝具店や一部の生協さんなどで取り扱っていますので、特にコットン布団では、使い古されてもゴミとして廃棄されることなく再利用されているものが少なくありません。

 そして本当に使い切って捨てられても、コットン布団なら自然素材ですから大地に残留することなく大自然に還っていくのです。まさにサスティナブル寝具の優等生と言うことができます。

 今日では大型店や通販を通じて多様な素材の寝具が作られています。この中からサスティナブルの観点から布団を選んでいただくために、つまり「本当のやさしい」布団を選んでいただくために、「布団の素材別環境比較表」を作りました。布団選びに活用いただければ幸いです。(別表参照)

 

■本当のやさしさは環境性と共存性

布団の素材別機能評価表については、自分の得意分野であるコットン布団に点が甘く、独断性の強いものになっています。特に寝心地の評価は個人比が大きく一概に決められないのですが、この表では「環境性」と「共存性」の評価を加えることによって、持続可能社会での布団選びの参考になればと願うものです。

布団が廃棄されるとゴミ問題や環境汚染問題が発生します。この問題は布団の素材を見直すことと、打ち直して使い続けることで解決の方向を見つけることができます。しかしこれは持続可能社会への道のりの一歩でしかありません。

ゴミによる環境汚染の問題は、厳しい価格競争、販売競争で作られる粗悪品や使い続けた後の処分方法を考えないで作られる製品によって引き起こされています。「お財布にやさしい」などと消費者から見て価格が安いものが「やさしい」ことになっていることがあります。しかし安売りの陰には、泣かされている生産者の苦しみがあります。生産原価を割るようなやさしさもまたニセのやさしさと言うことになります。

前回のオーガニックコットンのところで紹介した、フェアートレードによる製品の循環システムは、耕作農民から加工工場、販売業者までが支え合いのつながりで成り立っているものです。この関係は耕作者から始まる各工程で生産費に見合う価格を保証することで信頼の関係を構築し、品質の基準を守っていこうというものです。この関係はみんなで支え合って共存して行こうという関係ですから、価格の買い叩きや払い遅れ、不正があっては持続していけません。

これまで布団ということで、ベットでお休みの方々には無縁と思われるのは困ります。ベットのマット処分はさらに大型ですから、私どもも苦労させられていますし、製造者側の回収負担も大変だと聞いております。

布団もベッドも、いらなくなったらポイ捨てというわけにはいかない商品なのです。ゴミになるものは作らないという原点が守られない限り持続可能社会に至ることは不可能です。環境と共存のバランスが伴った本当のやさしい商品をお選びいただきたいと思います。(つづく)

 

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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2010年

8月

10日

「和綿蒲団」の夢

千葉市緑区の週末ファマーズ和棉畑で
千葉市緑区の週末ファマーズ和棉畑で

太陽の恵みの塊がコットン布団

 

 今年もコットン畑では太陽の強い日差しに急かされるようにワタの花が咲き始めました。(写真)この花が落ちるとコットンボールが膨らみ始めます。夏から秋にかけてコットン畑は白くてフカフカのコットンボールが次々と膨らんできます。この情景を見ていただけば、コットンボールのやさしい感触は大自然からの贈り物、太陽からの恵みの塊りそのものであることが実感できます。

 コットンと人類のお付き合いは長く、その柔軟性に優れた繊維の特性からさまざまに加工され、衣料品、生活用品、寝具など活用先は無限の広がりを見せています。またその加工段階でも織や染、縫い、など奥深い技能を生み出し、暮らしに潤いをもたらしてくれています。コットンは人々の暮らしを守り育てる必需品になっています。

コットンはワタ(綿)です。現在商業ベースの国内栽培は行われていませんので100%輸入に頼っている状態ですが、かつては日本各地でその地の気候風土に適した「和棉(ワワタ)」が栽培されていました。ワタの種はおよそ1200年前に日本に持ち込まれたといわれていて、それから長い年月をかけて日本各地に栽培地が広がっていきました。江戸期には全国各地でその土地独自の品種改良が行われ、ワタの特産地として大量に栽培する地域も生まれました。

 考えてみれば、自然から与えられる食物以外の産物で、最も生活に欠かすことのできないものと言えばコットンになるのではないでしょうか。コットンと人類は、厳しい自然環境から人の肌を守る、切っても切れない、文字通り「身近」な関係になっています。

 コットンボールが太陽からの恵みなら、そのコットンボールのフワフワをいっぱい詰め込んだコットン布団は太陽のやさしさの塊です。そのコットンの塊りに体を沈めて眠りにつくことは......。

――それは大自然の恵みに包まれ、癒される、至福のときが与えられていることになります。

 

コットンは自給率0%です。

 

 このように暮らしになくてならないコットンですが、現在では素材としてのコットンは国内自給率0%です。また、加工品である綿布、衣料品、布団まで、海外で大量に生産され、安価に輸入されています。国内コストでは到底考えられない価格で販売されているこれらの綿製品のために、まだ着られる服も捨てられ、フトンもほとんどが打ち直されることなく使い捨てられています。

 かつて国内各地で栽培されていた日本のワタ、和綿も、安い輸入品に押され、ほとんど絶滅してしまいました。同時にワタにまつわる貴重な技法や伝統も消滅しつつあります。ワタと人とを結びつけていたものは、織、染め、文様、着物、蒲団など、先代から伝え継がれてきたモノ造りの豊かさと潤いの心ではないでしょうか。この技能は幾代にもわたって昇華され、芸術作品の役に至ったものもあり、各地域の生活に定着した文化と切り離すことのできないものになっています。

 そのことに気づいた方々の中から和綿への見直しが始まりました。和綿を改めて見直すことは、自らの文化的誇りを再確認することにつながっていました。和綿の栽培を絶やしてはならない、和綿の種子を次代に残そうという動きが各地域で高まっています。現在日本各地から、ワタの栽培とワタにまつわる伝統や技法を再現する情報が伝わってきています。

 千葉県鴨川市でおよそ30年前から和綿の絶滅に警鐘を鳴らしてきた、鴨川和棉農園の田畑健さんは、「和棉のタネを守るネットワーク」を作り、自らも日本各地の和綿種を収集、栽培、保存し続けてきた方です。その成果は近年になってようやく実を結び、田畑さんの和棉農園で絶滅を免れた日本各地の和綿種が、再び元々の地域の畑に還され、蘇り始めています。

 和綿の栽培といっても、生産コストの面では輸入綿花の十数倍になりますので、商業ペースの栽培にはなり得ません。ですから自給率の向上というような段階ではありませんが、ワタを通して先人たちの思いを知り、ものを作り出すそもそものこころの豊かさを取り戻そうということではないかと思います。それはまた、物の原点を知り、大量生産では得られない、ものの本来の価値、つまり本物を極めることにつながるのではないでしょうか。

 

 

純和綿蒲団の復活がわた屋の夢

 

 私ども寝具店の始まりは「わた屋」でした。今「わた屋」の原点に立ち返り、和綿を愛する皆さんとともに、昔ながらの和綿のワタとそれに和綿の織物で純粋の「和棉蒲団」をつくりたいなぁ、と話し合っています。この蒲団は栽培から完成品に至るまで、すべての工程が昔ながらの手作りです作ろうというものです。多くの人々の思いと汗が込められた布団が出来上がることでしょう。

 和綿畑ではどんなに豊作でも一段歩(300坪)収量では大人の蒲団10枚程度しか採れません。つまり田んぼ一枚で一年間でその程度なのです。

また側生地の面でも各地の伝統織物が復活しつつありますが、糸つむぎから織布までの工程は膨大な手作業が続きます。和綿蒲団の側生地は着物幅で12メートル使いますが、織上がるまでにおよそ一年近くかかると聞いております。このように一枚の和綿蒲団の完成には大変な工程がつづきます。当然のことですが、コストの面ではかなり高額なものになってしまうのです。

 しかしながら、昔の人はこの工程をコツコツと続けてきたのです。農家では女の子が生まれるとワタを植え始め、毎年の収穫を貯め続けて十数年、娘が成長し嫁ぐときの「婚礼蒲団」をそのワタで作ったといわれています。布団作りがいかに大仕事だったかがうかがえます。

 この工程までも現代に蘇らせることも目的の一つです。古の文化の再現作業となることでしょう。私たちがなぜ和綿蒲団を蘇らせたいか、――それが本物の蒲団だからです。

 

(つづく)

 

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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2010年

5月

25日

自然界の循環を守り続けるために

土壌を汚す化学繊維素材

 

 オーガニックコットン布団を作るための縫い糸、これがオーガニック糸でなければオーガニックコットン布団にはならないのではないか?

――と言うのが発売当初から抱いた疑問でした。現在は国産オーガニックコットン糸が出回っていますので解決された問題ですが、縫製糸にこだわったのは地球環境への強い思いがあったからです。

 それは衣類であっても布団であっても、コットンは自然界から生まれたものですから使い続けた上で最後には自然界で分解され、生まれてきた土壌に還っていくものです。これが自然界の循環です。ところがコットンに他の化学繊維素材を混合することによって、コットン以外の部分は自然分解が及びません。この化学繊維の部分だけがいつまでも土壌に残留してしまい、土壌汚染の原因になっています。

 かつて有機農業を実践している農場を見せていただいたとき、芳しい(?)香りの堆肥むろを覗いてみると、捨てられた古畳の藁が熟成して黒く崩れ、堆肥化している中に、真っ白なビニール糸だけが畳の原形のまま突っ張って残っているのを見てしまったのです。「この糸は一本ずつ気長に抜き取るしかないんです」と笑って語っていた農家の方のご苦労を思い出してしまうのです。

 コットンによく混綿されるポリエステル系繊維の場合、捨てられた土壌の中でコットン部分は分解され消えていきますがポリエステル繊維の部分は半永久的に土壌に留まり、一度汚染された土壌は半永久的に分解することはないのです。最近は還元性プラスティック素材などの開発も進んでおりますがまだ一般化されていません。

オーガニック布団発売前から制作していた「純綿布団」であっても、その縫製糸をコットン100%糸にこだわって作り続けてきたのは、すべてが大地に還元される自然界の循環の流れを守りたい思いからでした。

 それがオーガニックであれば尚更です。オーガニックコットン製品の縫い糸にはオーガニックコットン糸でなければならないという思いは、オーガニックの純粋性のことばかりでなく、残留化学繊維による環境汚染の問題を見過ごすことが出来なかったからです。

 

オーガニックは地球を汚さない象徴!

 

 オーガニックコットンの普及が原点回帰を目指したものだと言うのは、環境汚染の問題から考えるとより明確になります。

 自然の中から生まれ、自然の中に還っていくという循環の破綻が現代のゴミ問題です。

 私どもの布団で言えば、使い続けて傷んできた布団は「打ち直し」というリサイクルシステムで古くなったわたをリフレッシュし、繊維の特性を何度も再活用されながら使い続け、そして最後には廃棄されましたが、本来自然物ですから土壌に還元されていきました。(「打ち直し」については後述します)

 ところが分解しない化学物質で作られた製品ではいつまでも残留物となって土壌にとどまってしまいます。コットン布団であっても繊維の中に自然物以外のものが混入されることによってその部分はいつまでも残留することになります。

それなのに近年は、そのまま廃棄される「使い捨て布団」が大量に生産され、それが何年か使用後に古布団となって捨てられています。一枚の布団であっても布団は大型ゴミです。東京都では捨てられる布団が粗大ゴミのトップとなって、ゴミ増加の大きな要因になっています。

 しかもその廃棄布団のほとんどはコットン以外の素材のものです。それがそのまま捨てられるか、焼却灰となって埋め立てられるかは別として、莫大な処理経費を要するとともに、土壌を汚染させ続けていることを見過ごすことはできません。

 

 原点回帰というのは自然なままのものを繰り返し使い続けてきた伝統を引き継いでいこうと言うことです。オーガニックコットン布団であれば、打ち直して使い続けられますし、廃棄されても土壌が汚れるようなことはありません。オーガニックは地球を汚さない象徴とも言えます。今流に言えば「地球にやさしい布団」です。

 

~地球に還れないものは作らない!、売らない!、買わない!~

 

 これは1998年お店を「エコふとんショップ」にリニューアルした時からのポリシーです。当時はまだオーガニックコットン布団は作っていませんでしたが、昔から作り続けて来たコットン布団でも側の生地はもちろん、中に入れるわた、縫製糸ともコットン100%で作ってきました。オーガニックコットン布団発売後も今日までこの原則を守り続けております。

 オーガニックであれ、普通のコットン布団であれ、自然に還れないものは作らない、売らない、そしてそのようなものを自分も買わない、これがこれからのライフスタイルの必須条件になるのではないかと思っております。

 

環境配慮布団シリーズの発売

 

 オーガニックコットン布団の特性をまとめてみると

 

  1. 化学物質過敏症の方々にご使用いただくための不純物を排除した純粋性
  2. 肌触りの柔らかさや通気性、吸汗性、などコットン固有の特性
  3. 環境を汚さない再利用システムと自然循環による無残留性

 この3つが上げられます。

 この内(1)はオーガニックコットン固有の条件ですが、(2)と(3)はコットンの普遍的な特性ですからオーガニックに限定されません。

この3つは、地球に還れないものは作らない、売らない、買わない、という、これからのライフスタイルの条件にピッタリです。

 オーガニックコットン布団としては化学物質過敏症の方々にご使用いただくために、これまで述べてきたように妥協できないところをひとつずつクリヤーにしてきました。しかしオーガニックコットンのもう一面の特性である肌触りの柔らかさや、自然のままで作られている環境負荷の少なさも大きな特徴です。化学物質過敏症以外の方々にとってはこのコットン固有の特性を十分お伝えしなければならない意味を持っています。

近年さまざまの化学肥料や農薬の使用による人体や環境への弊害からオーガニックが生まれましたが、コットンとオーガニックコットンは本来同質のものです。98年エコふとんショップに生まれ変わったのを機に発表した「環境配慮ふとんシリーズ」は自分の職業の中で環境を守る気持ちを込めたものです。

 環境配慮布団はオーガニックコットン布団と普通栽培の綿100%布団の総称です。オーガニックコットン布団はこのシリーズの一分野になります。

これはオーガニック布団では徹底的に純粋性に特化するとともに、コットンの特性を楽しみたい方々には綿100%の特性を十分に味わていただこうというものです。

 昔から続けてきた綿100%の高級布団の生地だけをオーガニックにしたものでもオーガニックの感触は同じですから、特別な敏感質の方以外の人には問題ないのです。

また、一般的にオーガニックコットン原綿は繊維が細くて長い米綿系のコットンが主流になっていましたので、布団ワタとして求められるクッション性、弾性回復力の面では、物足りないところがあります。

 最近はインド産オーガニックコットンも輸入され始めてきましたが、昔からの木綿布団の、あの太陽に干してフカフカになった布団の心地よさも捨てがたいものです。

「環境配慮布団シリーズ」は自然素材であるコットンのすべてを包括する環境に負荷をかけない布団の総称なのです。(つづく)

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親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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2010年

4月

28日

オーガニック革命は始まっている

オーガニックを使うことがそのまま新しいライフスタイル

 

 3月6日、日本オーガニックコットン流通機構理事長、宮崎道男さんの講演会が東京江東区の「えこっくる江東」で開催されました。オーガニックコットンを日本に紹介し、普及に努められてきた宮崎さんから、一度お話しをお聞きしたいと思っていたのですが、やっとその機会をいただくことができました。

 「オーガニックコットンから始める新ライフスタイル」と題したお話しは、オーガニックコットンの特性から普及に伴う諸問題までわかりやすくまとめた内容でした。オーガニックコットンを取り扱いながらも、その深い意味合いや目指すところ、普及の現況など、断片的な理解のまま来てしまったのですが、宮崎さんのお話しで今までの流れを系統的に知ることができました。

 また、オーガニックを知って、それを使い始めることがそのまま、暮らし方を変えることに繋がっているという、そこの必然性がよくわかりました。つまり、オーガニックを選ぶことが新しいライフスタイルそのものであることがよく理解できました。

また、オーガニックコットンの品質は信頼関係があってはじめて維持されるという条件がありますが、その信頼の関係こそオーガニック製品制作の必須条件であって、それなしにはオーガニックそのものが成り立たないことに確信を強めました。

 オーガニックコットンにおいては、耕作農民の生活を保障するためのフェアートレドが行われていますが、このことで信頼のおける生産が初めて成り立っていることを再確認することができました。

 これは大量生産や価格競争の経済分野では成り立つことのできない新しい取り組みです。その信頼関係を栽培から制作の工程につなげ、さらに販売者、購入者も交えて、互いに共生していこうというつながりを築いていくことが、すなわち新しいライフスタイルということになります。この新しいライフスタイルそのままが、人類が生存し続けていくための持続可能社会の暮らし方そのものであることに強く共感いたしました。

 

環境イベントの2つの方向性について

 

 このセミナーは東京江東区で1999年より活動を続けている「ふとんリサイクル推進協議会」の主催による「蘇るわたの文化」シリーズの第5回目の催しとして行われたものです。

 余談になりますが、ふとんリサイクル推進協議会の「物作り」形式の体験講座、「打ち直しワタで小座布団作り」はすでに60回を超える人気講座になって続けられています。またこれとは別に、セミナー形式講座「蘇るわたの文化」シリーズもこの会で5回目になりました。小座布団作りが「手作り」、「物作り」の楽しみを伝えることが主体にしているのに対して、蘇るわたの文化は新しい暮らし方を提起するための啓発を目的にしたものです。

 地球温暖化の進行する中で、全国各地の環境施設ではさまざまの啓発講座が行われていますが、どこでも物作りの体験型講座は人集めがやさしいのですが、啓発型セミナー講座では苦戦しています。この種講座ではわかりやすさと内容の深さが両立したものでなければ参加者に満足いただくことはできません。また、参加者のいわいるターゲットをどのレベルにおくか、つまり一般生活者とするか、より深いライフスタイルを目指す方々に置くかの絞り込みに常に悩まされているのが現況です。

 そのことは今回の企画段階でも悩まされたところです。一般消費者向け啓発活動として進めることと、オーガニックコットンの深い特性を伝えることとの方向性のバランスの問題です。

 結果的には参加者のレベルの高さによって充実した講座となりました。当日はかなり遠方からの受講者も多く、熱気のあるセミナー風景となりました。宮崎さんも参加者の熱心さに手応えを感じたようで、最近のオーガニックコットンに対する関心の高さを垣間見ることができました。

 

 「オーガニックコットン物語」

 

 そして4月1日、宮崎道男さんの著書「オーガニックコットン物語」が刊行されました。(出版:コモンズ、¥1600+税)

 日本のオーガニックコットン先駆者のひとりである宮崎さんだけに、そもそものコットンの素晴らしさから、農薬漬けのコットン農場の現状、 そしてオーガニックコットン製品の商品化までの様々な逸話、オーガニックコットン導入から今日までのご苦労が綴られています。

なぜオーガニックなのか?

その答えを宮崎さんはこの本のエピローグで、

~買物は未来を決める投票~

と述べています。

そしてオーガニックコットンを選択することは、これからの未来の暮らし方を選ぶ第一歩となることが語られています。

ライフスタイルの転換が叫ばれる中で、グリーンやロハスなど言葉のイメージが先行していますが、オーガニックの強いメッセージ性と妥協を許さない純粋性は、これからの新しいライフスタイルへの転換を即する契機となっていくことでしょう。

 

オーガーニック革命はもう始まっているのです。

 

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

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2010年

3月

23日

純粋のオーガニックコットン布団を目指して...

オーガニックコットンのミシン糸を探す

 

 オーガニックコットン布団を発売した当初のことですが、どうしても越えられないところがありました。それは完全なオーガニック性を求めるご注文をいただいても、まだ二つのクリアーしなければならない課題が残っていたからです。

 その一つは、生地もわたもオーガニックの布団であっても、それを縫い合わせる縫い糸がオーガニックではなかったことです。オーガニック布団をお求めになる方は、肌や気管の敏感な方が多く、純粋なオーガニックを求めていらっしゃるのですから、たとえゼロコンマ何パーセントであってもオーガニックでないものが含まれていることはあってはならないことと考えていました。

 

 布団生地の縫製は電動ミシンによる直線縫いが基本ですが、そのミシン糸は強度の強いポリエステル系の糸が一般的に使われています。もともと自然素材にこだわっていたうちのお店では、縫製糸はすべてコットン糸を使っていましたが、たとえ縫製糸だけであってもオーガニックでない糸は農薬汚染されたコットンです。製糸加工段階での添加物も含まれています。毎夜布団に横たわることの出来ない症状を持って苦しんでいる方々のことを思うと、オーガニックコットン布団として胸を張ってお薦めすることに躊躇してしまったのです。

 

 しかし当時はまだ、オーガニックコットンのミシン用縫製糸はまだ国内では手に入らなかったのです。オーガニックコットンは自然のままの油脂分をたくさん含んでいるため風合いは良いのですが、製糸段階での薬剤加工をしないため、どうしても撚りが甘く、強度が足りないため、ミシンなどの縫製に適する細くて丈夫な糸が作られていなかったのです。

 そのため当店では、オーガニックではない普通のコットン100%糸と使用しましたが、綿100%であってもオーガニックではありません。そこのところを曖昧にすると、私どもが昔から作り続けてきた「純綿布団」と、オーガニックコットン布団の違いが曖昧になってしまうのです。そこのところはどうしても妥協できないところでした。

 

オーガニックコットン布団で譲れないもの

 

 オーガニックコットン布団制作上でもう一つ気になるところがありました。それは、出来上がり商品に必ず付けなければならない「品質表示票」のオーガニック化が難しいことでした。布団の端に付いているあの小さな片偏ですが、化学繊維のツルツル布だったことも妥協できませんでした。これもほとんどの他社製品でも同じものが付いていたのですが、化学物質過敏症の方々のことを思うと譲ることのできない一線でした。

 

 化学繊維をどうしても使いたくない思いはオーガニック以前から続く思いです。環境の問題が叫ばれる初期の段階から自然素材以外は取り扱わない方針は貫いてきましたので、すべての布団はコットン100%の糸で縫製していたのですから、オーガニックコットンとなれば尚更です。縫製糸と品質表示票でもせっかくのオーガニック性が損なわれてしまうのですから許せませんでした。

 品質表示票の解決策としてはオーガニックコットン生地に直接印刷したものを縫い付けることで解決しました。しかしまだ印刷インクのオーガニック化までには至っておりません。特に過敏な化学物質過敏症の方には、製造者を信頼いただくことで品質表示票そのものを縫い付けない方法で対応しています。

 

 こうした課題を抱えてスタートしたオーガニックコットン布団ですが、2005年になってオーガニックコットンミシン糸の国産品に出会うことができ、ようやく完全なオーガニックコットンふとんが完成いたしました。

 また、課題だったカード製綿機による「わた打ち」と、オゾンによる脱臭工程も行われるようになりました。昨年からは新たにフェアートレードによるインド綿生地が加わり、ワタの増量とサイズ調整を行った新規格のオーガニックコットン布団シリーズを発表いたしました。

 

この、こだわりのオーガニックコットンふとんは当店ホームページ

http://www.ecofuton.com/organic/index.html

で紹介しておりますので、どうぞごらんください。(つづく)

 

写真はオーガニックコットンベビーふとんセットの一例です。

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親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

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2010年

2月

18日

オーガニックコットンは信頼関係が育てる

オーガニックコットンでもいろいろ

 

 ここまで書いてきたときドイツのオーガニックコットンメーカーによる偽オーガニック問題が報道されました。これに対するメーカー側の見解も見ました。

 

 これはドイツメーカーのオーガニックコットン製品に遺伝子組換えコットンが混入していたことと、その製品がオーガニックコットンの品質を保証するために設立された認証機関の認証を通っていたというものです。

 遺伝子組み換えコットンについては後述しますが、良心的なオーガニックコットンメーカーでは製品のオーガニック性を保証するための基準を設定しています。そしてその基準を保証するための認証制度があります。その基準に適合した製品に証紙のようなものを付けることで品質を保証しているメーカーもあります。

 しかし昔から続けてきたコットン栽培では当然のことですが、自然のままの有機栽培でしたから、これはオーガニックコットンです。つまり化学肥料を使ってなく、農薬という名の殺虫剤や枯葉剤を使わないで栽培して採れた綿はそのままオーガニックコットンです。その純綿をオーガニックコットンと名をつけても、本当に栽培と加工がオーガニックならいいとも言えます。

 一般の農産物についても、例えば栃木県藤岡町、渡良瀬エコビレッジの町田武士さんの農場では30数年来の有機栽培を続けていますが、なにもオーガニックなどといっているわけではありません。私は町田さんのところのお米や野菜を購入していましたが、オーガニック認証を受けて市販されているお米や野菜より、町田さんの方が安心できます。

 これは町田さんがオーガニックなどという言葉の生まれる前から、自然農法の実践を続けていることを聞き、何度も農場に応援にも行っている間柄だからです。何でもそうですが、自分が信頼している人から購入するのが一番安心できるのです。

消費者に選ぶ基準を保証しているのが認証制度ですが、認証は義務ではありません。また基準の数値も統一したものではありません。それに認証されていないオーガニックコットン製品も出回っています。ですからオーガニックコットンと表示されて販売されている製品でも純度から見ればピンからキリまであるのです。

 

オーガニックコットンの純粋性はそれを作る人の思いから

 

 平成5年から有機栽培緑茶に取り組んできた、静岡県掛川市の「杉本園」さんのお茶を長年取り寄せています。

http://cha.pya.jp/cart/index_01.php

 杉本園さんと出会ったのは10数年前でしたが、当時杉本さんは化学肥料と農薬に汚染されたご自身の茶畑を、有機栽培の茶畑に切り替えるために大変なご苦労をされていました。

 長年にわたる化学肥料の連続使用で、コチコチに固まってしまった畑地をもとの土に戻すには長い年月がかかることを語られていました。お会いしときは有機栽培を始めて3年目の頃でしたが、「まだ完全に戻ってないのですよ」と聞きました。畑が昔のような自然なままの有機の土に戻ったのはそれからなお数年を要したのです。

 その杉本さんから「やっと有機認証がおりました」と聞いたのはそれからまた数年後でした。

 「認証手続きにはいろんなデーターがいりコストもかかるんです」と言うのです。

 「有機の証明がいるのっておかしいですね。農薬栽培の方こそ安全認証がいるんじゃないですかね」とお話ししたことがあります。

 

 私は杉本園さんのお茶には絶対的な安全を確信しているのですが、これは認証されているからではありません。杉本さんのご苦労を知っているからです。

 私は認証制度そのものに疑問を持っています。どんな厳しい基準があってもオーガニックコットンではそれを作る人がそれを詳しく理解していて、さらに強い思いが伴っていなければどこかで妥協が生まれ、省略や不正も起きてしまうものです。生産から消費までの流通経路が長くなるほどこの不安は高まってくるのではないでしょうか。

こう書くと公的な基準を作らなければという声が必ず出てくるのですが、これはお役所に何でも依存しようという発想です。どんな厳格な基準でも守られなければ何もなりません。法定の認証制度などができて、煩わしい書類やデーターを要求されるようになってもらいたくないものです。

 個人と個人の関係から信頼関係は始まります。信頼とは心が伝わっている関係ではないでしょうか。これは企業であっても組織であっても同じです。あの人の会社だから、あの人がいる会社だから、―ここから信頼が生まれます。とりわけオーガニックコットン選びにはこの信頼関係が一番大切な条件になるのではないでしょうか。

 

オーガニックコットンはフェアトレードがぴったり

 

 大量生産、大量消費の行き着いたところが環境を汚染させ、環境起因性の疾患を生み出し、人々を苦しめる原因を作ってきました。その反省から生まれたのがオーガニックという考え方です。

 オーガニックコットンは、栽培はもとより加工や流通の過程においても生産性や効率性を高める発想の対極にあるものです。生産や販売の効率を求めるところからではオーガニックの純粋性は弱まってしまう関係にあるようです。

 オーガニックコットン製品にフェアトレードの取引が多く行われている理由もここにあります。オーガニックコットンは栽培者から適正な価格で引き取ることを保証することによって真正な製品の生産が維持されていくのです。

 このたびインドの零細コットン農家に対して、オーガニックコットンへ転作するための支援が始まりました。オーガニック栽培は少なくとも3年間有機の栽培を続けなければ土壌が戻らないのですが、日本の輸入商社がその転作中の3年間の収穫物もオーガニックと同じ価格で引き取るというものです。

 オーガニックコットンは作る人から売る人まで、さらにそれを買う人まで、大きくつながった助け合いの輪のようなものが次第に出来てきていることがわかります。オーガニックコットン製品を購入することがインドや、その他の地域にもありますが、その地域の貧しい農民の生活を支えていることにもなっているのです。

 オーガニックが原点回帰の運動であることがこのことからも見えてきます。作る人も、売る人も、買う人も、みんながオーガニックコットンでつながっていく未来の共存社会の姿が見えてくるように思えてなりません。 (つづく)

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親松 徳二(おやまつ とくじ)

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2010年

1月

28日

暮らし方を変えることがオーガニックだった!

オーガニックコットンの仕入れルートを探す

 

 オーガニックコットン布団を作り始めて10年になることはお話ししました。佐藤先生から悲惨な化学物質過敏症の方々のことを聞いていたので、この10年間は少しでもオーガニック性を高めた布団を作るための試行錯誤の期間でもありました。

 最初の問題は良質な原材料の仕入れルートの開拓でした。

 現在オーガニックはもちろん、普通のコットン原綿でも100%輸入に頼っていますが、10年前にはオーガニックコットンでは糸や布もまだ国内では作られていませんでした。そんな状態ですから我々の寝具業界ではオーガニックコットンの生地やワタの素材は入手できませんでした。そのため最初の試作段階ではオーガニックコットンを直輸入している専門店さんから生地を分けていただき試作品を作っていまいた。

 当然のことですがあらゆる生産物には製造責任が伴います。とりわけオーガニックコットン製品は純粋性が使命ですから、素材から製品化までのルートがはっきりしている製品でなければなりません。そのための前提としてオーガニックコットンに対する明確なポリシーを持って取り扱っている事業者であることが一番大切な条件になります。 近年になってオーガニックコットンの国内繊布も始まり、製品も多様化してきましたが、かなり疑わしいものもありますので、製品選別はますます厳しくなっているともいえます。

 

オーガニックは原点回帰運動だった!

 

 ここでオーガニックって何かについて説明しておかなければなりません。

 私は外来語の正確な意味はわからないのですが、本物とか本来、本質という意味のように理解しています。ですからオーガニックコットンは本物のコットン(綿)という意味です。したがってオーガニックコットン布団は「本物の布団」と考えていただきたいと思います。

 もう一つの見方ではオーガニック食品は有機栽培食品を指していますので、オーガニックコットンは「有機栽培綿」ということにもなります。

 

 ここまで書いたとき、最近出版された「オーガニック革命」(高城剛著、集英社新書)に出会いました。本書では、オーガニックは21世紀型の新しいライフスタイルを創造する運動につながっていることが語られています。人類の文明が際限ない膨張をつづけ、これから先が全く見えない時代に入ってしまいました。そんな時代からの転換を、人々の暮らし方から変えていこうという思いがオーガニックに込められているというのです。言い換えればオーガニックは大量生産、大量消費の効率優先社会からの転換運動そのものであるわけです。

 著者はオーガニックはグリーンやエコとは違うと言います。それではロハスかというとこれもしっくりしません。しっくりしないのはこれらがみな、使い続けるうちに商業主義的オブラートに包み込まれてしまったために、本来の力が剥ぎ取られてしまったからではないかと思われます。

 そのはぎ取られたものは何かと考えてみると、物を作り出すこころの部分ではないかと思います。そこの元のこころを取り戻すところからオーガニックが見えてくるのではないでしょうか。つまりオーガニックとは原点回帰の運動そのものでした。

 このことから、グローバルの対極にあるのがオーガニックだったことがわかります。 オーガニックは原点に還るという意味で、あらゆるものや事象に言える普遍的意味を持っているようです。ここであらゆる部門においても「原点回帰」がなされなければ人類の生存そのものが保障されなくなっています。原点回帰というのは最初の始まりのこころに還ることだと思います。つまり初心に還ることです。それは最初の思いを蘇らせることです。

 

 オーガニックを考えていくとこのことに至ってしまいます。オーガニックコットンはグローバルな競争社会では生き残ることができないものでしたが、時代の転換のためにはなくてはならないものになったのです。

 

安心できる原料供給先が見つかった!

 

 信用できるオーガニックコットン素材の仕入れ先を探しあぐねていた2000年夏、新しい出会いが訪れました。

 「環境」という難しい課題を、もっとわかりやすく皆で語り合える場を作ろうという目的で生まれた「普通の人のエコロジー」WEBが「エコロジーオンライン」に改称して間もないころのことでした。私は「和綿」の情報を求めているうちにこのWEBとご縁ができ、間もなくメーリングの仲間に入れていただきました。(和綿については稿を改めて書かせていただきます)

 このメーリングの中はエコロジーを主題にした情報交換と、未来の暮らしを熱っぽく語り合う場となっていました。ここで語り合ううちにいつしかこころがつながって、仲間となっていくのです。このつながりは現在のエコロジーオンライン(以下EOL)に引き継がれています。そしてEOLの皆さんとのメーリングの交換の中でオーガニックコットンを取り扱っていた2つの事業者さんと知り合うことができました。アバンティーさんとパノコさんです。

 どちらもしっかりしたポリシーを持ってオーガニックコットンを輸入しているメーカーさんです。

 この出会いは志を同じくする仲間としての出会いだと考えています。ですから仲間同士です。仕入れ先ではありますが、私は取引先というような感じを持つことなくお付き合いをさせていただいています。これで安心できる原料供給先が見つかりました。

こうしてオーガニックコットンふとんの原料供給先の心配はなくなりました。しかしまだしばらくの間は確信を持てる製品を作り出すまでには至りませんでした。(つづく)

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親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

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2010年

1月

13日

オーガニックコットンとの出会い

オーガニックコットンとの出会い

オーガニックコットンの布団を作り始めて約10年になりました。10年前はまだオーガニックコットンの出始めの時期で、食品や化粧品のオーガニック製品では華々しくオーガニックの名を付けた製品が広まり始めていましたが、オーガニックコットンの分野では一部専門ショップでの取り組みが始まったところでした。

しかしオーガニックといわれる前から「自然」とか「天然」とかの名称で、素材の純粋性を謳った様々な製品は作られていました。私どもで作っている布団でいえば「純綿」の布団がありました。純綿は化学繊維などが混入されていない綿100%布団のことです。この純綿の中でも特に高品質コットンを使用して作った布団は純粋の自然の産物の「純綿布団」で、価値ある布団として作り続けてきた高級布団でした。

ですからオーガニックコットンなどといいわれても、「また横文字の売り込みかな」、―程度の感覚で聞き流していた時期もありました。それまで私どもが作り続けてきた布団も綿100%ですから自然であり天然です。ですからオーガニックと同じことだと思っていたのです。

化学物質過敏症の悲惨さを知って

オーガニックをよく理解できないままでいた1999年頃のことです。東京江東区で古くから環境汚染の問題に取り組んでいた環境グループ「グリーンアップ」では、アトピー、アレルギーなど環境汚染による人体への影響について勉強会が続けられていました。

その勉強会の中で、当時新築住宅で発生していたシックハウス症候群について、テクノプラン建築事務所の佐藤清先生のお話をうかがったことから、私のオーガニック素材に対する認識不足を感じることになりました。佐藤先生は一級建築士としてばかりでなく、衛生工学士の一面を持つ方で、特にノンアレルギー住宅「環境の家」の建設に取り組んでおられました。

先生はシックハウスなど、アレルギー症状で苦しんでいる方々の住環境の改善指導をなさっているのですが、建物とともに寝具にも感応してしまう重症のアトピーの方々を目にして、ノンアレルギー寝具に使える素材を探していたのです。

先生のお話しによると、化学物質過敏症の方が潜在的に約10パーセントいるそうです。その他に植物アレルギー(食品および衣料)の方が20パーセント程度いると言われます。

寝具についてもお話しを伺いましたが、寝具の素材によって感応する物質は様々ですが、人によっても反応はまちまちで、化学繊維のふとんに感応する人や、オーガニックコットンにも感応する人がいて、自然だからとか、合繊だからとか、ホコリが立たなければいいというような単純なものではないと伺いました。

先生から重症のアトピー症の方々の状態を聞きました。どんな寝具にも感応してしまうアレルギー体質のため、布団に寝そべることができず、一晩中横になって眠ることのできない悲惨な症状の方のお話は衝撃でした。

例えば自然素材の木製ベットを揃えても、クッションスプリングや枠の金属、釘などにも感応する人、ベットの塗料に感応してしまう人など、一人ひとり感応の度合いが違うため、個別のケアーが必要なのだそうです。先生はそんな方々に対応した新素材の布団を試行しておられ、当店でも自然素材の原材や商品の中の数点をテストしていただくために提供いたしました。

真正オーガニックコットン探しの始まり

「やっぱり反応が出てしまいました」と佐藤先生から連絡いただいたのはしばらくあとでした。自然のままというある商品を、横になって眠ることができないという重症の化学物質過敏症の方に使っていただいた結果の報告でした。使い始めには反応が出なかったので期待したのですがやはり出てしまったというお話でした。

「カポックはどうですかね?」と先生に聞かれました。コットンは農薬や化学肥料に侵されているものが多いため、コットン以外の布団素材で何かないかと探していた先生は、カポックに注目されていました。

カポックは「パンヤ」ともいわれる繊維質の素材で、弾力性の強い特性から、ポリエステル系化学繊維ができる前までは枕やクッションなどに広く使われていた素材です。このカポックは東南アジアの樹木から採れるもので、栽培に絡む汚染はないはずだと考えられていました。しかし調べてみると、輸入時の防疫処理により無垢のままでは国内に入れることが出来ないものであることがわかりました。

 

アトピー、アレルギーは人類最後の難病といわれ、まだまだ未解明の病気です。一部にはそれに効果のあるという布団も売り出されておりますが、それはすべての方に効果があるというものではありません。

昔からコットン布団を作り続けてきた者として取り組むことのできるのは、やはり綿100%布団の純粋性を完璧にすることではないかと気づいたのです。

このことから真正のオーガニックコットン探しが始まったのです。

(つづく)

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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