百姓が伝えたいこと

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自然栽培を提唱する木村秋則さんにお話をうかがいました。

 

取材・文/温野まき

取材協力・写真提供/季刊紙『農業ルネッサンス』(東邦出版) 

木村秋則(きむらあきのり)さん

1949年、青森県弘前市生まれ。高校卒業後、神奈川県川崎市のメーカーに就職するが、1年半で退職。故郷に戻り結婚、農家の婿養子となる。妻が農薬に弱かったことをきっかけに、1978年から無農薬のリンゴ栽培を試みる。苦難の日々を乗り越えて、11年目に無農薬・無肥料での栽培「自然栽培」に成功。2006年、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演、大反響を呼ぶ。最新著書に『百姓が地球を救う』(東邦出版)。

 

全国各地で開催される“木村塾”

 日本一のリンゴ生産量を誇る青森県弘前市。津軽平野を抱くようにそびえる岩木山のふもとに、無肥料・無農薬でリンゴ作りを成功させた木村秋則さんのリンゴ畑がある。

 

 木村さんは、リンゴに限らず、すべての野菜や果物が無肥料・無農薬で育つことを知ってほしくて、自らの経験で得た栽培技術を「自然栽培」と名付け、20年以上も前から全国各地で農業指導を行っている。

 

 特にここ数年、通称「木村塾」は、どこもすぐに定員になるほどの盛況ぶりだ。宮城県加美町、石川県羽咋市、岡山県などでは、肥料や農薬を販売してきたJA(旧農協)が自然栽培に取り組むという画期的な動きも生まれている。

 

 そこには、安全安心で、美味しい生産物を消費者に提供できるという付加価値への期待があるが、普及を後押ししているもうひとつの理由は、環境に対する危機感だ。

 

「私の住む弘前で、先日、竜巻が起きたんです。リンゴ畑で作業していたら、強い風が吹いてきて、向こうの空が真っ黒な雲に覆われていました。60軒以上が被害を受けたと聞いています。今年は全国各地で頻繁に竜巻警報が出たり、ヒョウが降ってきたり、いったん雨が降り出すと降水量も異常です。こんな天災が続くなんて、おかしいと思いませんか? そろそろ温暖化の影響が本格的に表れてきたんじゃないでしょうか。2009年8月にアメリカ海洋大気局がホームページ上で、“肥料を撒いた農地から発生している亜酸化窒素ガスがオゾン層を破壊している主たる要因”と発表しました。実は、作物は、施した肥料の窒素分の10~15%くらいしか使っていないことがわかっています。雑草や土の中のバクテリアがあと30~45%くらい使ったとしても、残りの50%近くは大気中に放出されているそうです。オゾン層を破壊したのは人間なので、このツケはきっと人間が払うことになる。今年は60年に一度の異常気象の年になるんじゃないかと心配しています。だから私、農業の分野で何ができるのかと考えたときに、この肥料・農薬・除草剤を使わない自然栽培を、環境を保全していくためにも広めていきたい。指導する人を増やしたくて、仕事の合間を塗って全国を飛び回っているんです」

 

無肥料・無農薬でリンゴを作る

 木村さんが、“肥料と農薬なしでは絶対に実らない”といわれてきたリンゴを無肥料・無農薬で育てることを決めたのが1978年。それは、病害虫との闘いの幕開けだった。

 

 肥料と農薬をやめた途端、リンゴの木は花を咲かせなくなった。いくら取っても害虫は猛烈な勢いで増え続け、病気は蔓延していく。農薬に代わるものを探して、唐辛子、酢、焼酎、味噌、牛乳……ありとあらゆるものを試したが効果はなかった。

 

 リンゴ農家として無収入の時期が続く。しかも1年や2年ではない。

 

「それまでは何の疑いもなく農薬を使って、すべてを死滅させてきたんです。本当にごく一般的なリンゴ農家でした。無肥料・無農薬を始めたきっかけは、女房が農薬に弱かったという理由もありましたが、振り返ると不思議な気持ちになります。なぜ私がやったのか。いつでもやめられたはずなのに、なぜ続けたのか。ずいぶん質問を受けて、そのたびに、バカになれ、あきらめるな、と自分にいい聞かせたと答えてきました。それはもちろん事実ですが、本当をいえば、なぜ続けたのかという明快な答えが出てこない。ただ、新しい発見が次々とあって、本に書いてあることはひとつも参考にならなかった。そういう、道なき道を歩くことが面白くて仕方なかったのかもしれない。追求せずにはいられなかったんですね」

 

 最新著書の『百姓が地球を救う』(東邦出版)では、収入がなくなった末に、サラ金と高利貸し29社からお金を借りて多重債務者になったと告白している。いつも笑っている木村さんから、笑顔が消えた時期だった。

 

「リンゴはまったく実らないし、畑は害虫と病気だらけ。自分で稼いだお金も、婿養子で入った家のおやじが稼いだお金も全部使ってしまったので、周囲から、あいつは何をやっているんだっていわれました。そういわれるのは当然のことなんだけれど、もうあの頃はみんなが敵みたいに感じていたんです。“いつもピリピリしていて話しかけることができなかった”と女房がいっていたほどです」

 

 暗いトンネルで黙々と試行錯誤を繰り返すような日々のなか、あらゆる作物を無肥料・無農薬で栽培することに挑戦して良好な結果が出ていた。それだけに、リンゴも実ると信じていたが、期待を裏切るようにリンゴの木だけは日に日に弱っていったという。

 

「初めは、一個でもいいから実ってくださいとお願いしていたんです。でも、リンゴの木は次々と枯れていきました。最後には、もう実らなくてもいいから、どうか枯れないでください。苦しいでしょうが耐えてくださいって、お願いしました」

 

見えなかったものが見えてくる

 無肥料・無農薬栽培に舵をきったのが28歳。八方ふさがりになった35歳のある夏の夜、木村さんはロープをもって、ひとり岩木山へ向かった。

 

 木の枝にロープを投げた。だが、失敗してロープは落ちてしまう。斜面を降りてロープを拾った目線の先に、月明かりに照らされたリンゴの木があった。

 

「なぜ、こんなところにリンゴの木が…」と思って近づいてみると、それはリンゴではなくドングリの木だった。生き生きとした美しい木の姿に見とれた。肥料も農薬も使わないのに、害虫にも病気にも冒されていない。木村さんは、はっとした。

 

「そうか、土だ!って気がついたんです。ドングリの木の根元の土も、山の土も、さまざまな草が生えてふかふかとしている。私のリンゴ畑の固い土とはまったく異なっていました。農薬をやめたら、数えきれないほどの害虫が発生したでしょ。木は弱っていくし。だから初めは、農薬と肥料に代るものを探していたわけ。養分を取られるからと、リンゴの木の下草もぜんぶ刈っていたの。でも、山の木を見たときにわかった。雑草が土を作り、陽射しで熱くなる地表の温度を下げている。害虫を別な虫が食べて、その虫をまた別な生きもの食べて……。土の中にいるバクテリアも含めた生態系の連鎖があるから、木が生き生きとしている。自然界では、すべてのバランスがとれているんだと」

 

 出口なしと思われた暗闇の先に、小さな光が見えた瞬間だった。

 この日以来、木村さんはリンゴ畑の下草を刈り取るのをやめ、そこに集まってくる小さな生きものたちに目を凝らした。雑草は少しずつ畑の土をやわらかくし、夏の暑さからリンゴの木の根を守ってくれた。小さなアブの幼虫が、たくさんのアブラムシを捕食していることを発見した。いままで見えなかったものが、次々と見えてくるのだった。

 

「クルミの小さな苗木を掘り起こしたときに、木の根を見てびっくりしました。地上に出ている枝ぶりと根っこの形が同じだった。そして葉っぱをよく見ると、葉脈が、木や根の姿と同じなの。どんな植物も掘り起こしてみたらそうなの。植物の葉には、その植物の設計図が描かれているんです。水分や栄養が隅々まで行き渡るための図面が葉っぱに示されている。だったらリンゴの木も、リンゴの葉っぱの葉脈の姿にならって剪定すればいいんだと気がついたんです」

 

10年目に咲いたリンゴの花

 昼間は観察と研究に没頭し、生活費を稼ぐために夜はキャバレーで働いた。目指すものがはっきりと見えたとき、それ以外のことはたいしたことではなくなったと振り替える。

 

「よし、これでリンゴが実る!と思ったら、世間体を気にしたり、自分がそれまでもっていた恥ずかしいという気持ちも、見栄も捨てられたんですね」

 

 実は、木村さんの歯がないのは、キャバレーで働いていたときの事件が原因なのだ。

 

「雇われ店長をしていました。雨が続いて、お客さんがぜんぜん入らないので、外で呼び込みをやったんです。一方通行の道路を、車のライトを背にして歩いてきた2人組が見えて、よく見えなかったのに声をかけてしまった。そしたら、このバッヂが目に入らぬか!というような人たちでした。でも、暴力団の入店はかたく禁じていたので断らなくてはいけなかった。 “おまえ、一杯飲んで行ってくれっていったんだろ?”って連れて行かれて……前歯がなくなったんです。歯っていうのは1本なくなると全部寄ってくるんですね。そうすると全体がぐらぐらしてくる。歯医者に行くお金もなかったので、ほとんどの歯を自分でプライヤで抜きました。ずいぶん痛かったんですけどね」

 

 支えてくれている奥さんに、「うちの畑のタンポポが山のタンポポと同じになったときに、リンゴは実をつけるから」と、口ぐせのようにいっていたという。そして、そのことばどおり、リンゴ畑と山の草花が同じように生い茂った1988年、無肥料・無農薬の栽培を決断してから10年目の春に、リンゴの木は7つの白い花を咲かせた。

 

肥料を施さないと、植物はゆっくり生長する

 いま、木村さんのリンゴ畑は、春になると満開の花を咲かせ、秋は枝にたわわに実をつける。人はそれを“奇跡のリンゴ”と呼ぶが、木村さん自身は奇跡だとは思っていない。

 

「すべての農作物にいえることですが、よく観察して、自分がリンゴだったら、自分が稲だったら、どうしてほしいのかを考えてみてみるとわかるんです。人はそのお手伝いをするだけでいい。お米や、あらゆる野菜や果物を無肥料・無農薬で栽培してわかったのは、肥料を施すから病気になるし、虫が来るということです。農薬を撒くから特定の害虫だけが異常発生する。そしてさらに強い薬が必要になる……。いまの農業は、効率化を求め過ぎたために、薬に頼るばかりの農業になってしまった」

 

 肥料や農薬を使わないと、植物はゆっくりと生長する。特に初期生育では根を伸ばすことに力を使うのだそうだ。

 

「どんな植物でも、タネを蒔いたら最初に出てくるのは根なんです。根が力を蓄えてから地上部を生長させる。でも、肥料があると、根は必要なものをすぐに蓄えることができるから、あまり根を伸ばさなくても、地上部を生長させていきます。もし宝くじが当たったら、人はがんばって働かないでしょ? 私、根もそれと同じなんじゃないかって、よくみなさんにお話しするんです(笑)。何も施さないと、植物は一生懸命に水や養分を探して深く深く根を下ろします。細かい毛根をたくさん出して、生長するためのしっかりとした土台を作るんです。稲なども、田植えしてすぐは地上部が生長しないので、みんな心配する。大丈夫なのかと。やっぱり肥料あげたほうがよかったのかなと。ところが、数ヵ月たって根がしっかりはってくると、地上部がぐんぐん生長する。しかも、引っこ抜こうとしてもなかなか抜けないような強い稲になるんです。ちょっとやそっとの雨風で倒れたりしない。不順な天候にも影響を受けにくいことがわかってきています。自然栽培では、肥料や農薬を使わない代わりに、自分の目と手が肥料であり農薬です。観察して、植物の気持ちになって知恵をしぼる。私、農業ということばよりも百姓が好きなの。百姓っていうのは、百の知恵や経験をもっているということだから」

 

すべてに心がある

 20年前、木村さんの話を聞いてくれる人は、ほとんどいなかったという。それが、いまや半生が映画(*)にもなるほどの“時の人”だ。

 

 肥料・農薬を使わない「自然栽培」は、化学物質過敏症やアレルギーをもった人たちにも注目されており、まったく見向きもされなかった栽培技術から、“売れる”栽培技術に取って代わろうとしている。

 

「ありがたいことだと思っています。ただ、自然栽培が特別なものではなくて、誰でも、いつでも、どこででも買えるようになってほしいと思っているんです。“お金”に目を向ける人もいるようですが、私、“たかが、お金のために”って、どこかで思ってしまうの。無一文になって、1円もない生活をしてきたっていうことが、自分にとっていい勉強になったんじゃないのかなって。お金は人が作ったものなのに、作ったものに人が使われているのがいまの世の中です。すごく不思議なんだけれど、この栽培は、お金目当てにやるとなかなか成功しないの。それは、技術だけを学ぼうとして、心が伴っていないからかもしれません。技術っていうのは、まず心があって、あとからついてくるんじゃないでしょうか」

 

「どんなものにも、すべてに心がある」と、木村さんはいう。植物も、目に見えないバクテリアも、人の心を感じることができて、自分の心がすべてに表れる。毎年、木村さんの畑で実るリンゴが何よりもそれを物語っている。

 

 

(*)映画『奇跡のリンゴ』は2013年に公開(配給:東宝)予定。

 

『百姓が地球を救う』(東邦出版)

http://www.amazon.co.jp/百姓が地球を救う-木村-秋則/dp/4809410129/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1342194964&sr=8-1

 

季刊紙『農業ルネッサンス』(東邦出版)

http://www.toho-pub.net/kiseki.php

 

コメント: 4 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    和尚 (火曜日, 17 7月 2012 22:09)

    限られた字数で、木村秋則さんの哲学が伝わってきます。愛の農法、目には見えないものが大切でそこを育てから、技術を学ぶ事、命在るもの全て繋がり存在している事。自然栽培哲学ですね。

  • #2

    特定非営利活動法人エコロジーオンライン (水曜日, 18 7月 2012 10:31)

    和尚さま
    ありがとうございます。木村秋則さんのお話は既存の価値観を覆されることばかりです。私たちが正しいと信じている価値観は、意外と近代に移植されたものかもしれません。“すべてに心がある”という木村さんのことばは、いまとても大事なことのように思えます。

  • #3

    小熊 張庵 (月曜日, 23 7月 2012 08:22)

    7月に 木村塾でお会いしたときにお話ししていたことと同じ内容ですが、考え方の根本にぶれの無さを感じます。私の妻が、梨の木が枯れてしまったと思わずぽろりと言った回答が直ぐに「鼠に根を食べられてしまったのでは?私も経験があります。」と 妻が「私の世話が初めてで悪かったので枯らしてしまった」のかと心配している所へ直ぐにフォローしていただきました。相手を気遣う心と自然栽培の普及に邁進する。素敵な方でした。

  • #4

    特定非営利活動法人エコロジーオンライン (水曜日, 25 7月 2012 10:53)

    小熊さま
    ありがとうございます。梨の木のおはなし、木村さんの人柄が感じられるエピソードですね。そこにいらっしゃるだけで、人を元気にするような方ですよね。

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