日本が僕に教えてくれたこと おもてなしの原点を語ろう! 

6年後のオリンピック開催に向け、本格的なハード整備が始まった東京。“お・も・て・な・し”を強調した招致活動とは裏腹に日本独自のソフトの充実に関する話題は少ない。注目が集まるオリンピックという晴れ舞台で私たち日本人は世界に何を伝えればいいのか?


相撲を通して日本を世界に発信するアメリカ人ジャーナリスト、デビッド・シャピロ氏に話を聞いた。

取材・文/上岡裕&七生美

撮影/黒須一彦

ブルース・リーにあこがれて

 2014年大相撲九州場所の千秋楽、賜杯を手にした横綱白鵬が母国語モンゴル語で優勝の言葉を述べた。大鵬とならび歴代1位となる32回の優勝を手にし、その感謝の言葉をモンゴルの人たちに直接語りかけた。翌日のワイドショーでも大きく取り上げられ、大相撲の国際化を象徴する出来事となったのだが、その放送の生中継を担当したのが世界各国でオンエアされるNHK総合放送の大相撲で英語解説を担当しているデビッド・シャピロさんだった。

 

 ニューヨークに生まれ育ったデビッドさんはなぜ、日本に来ることになったのか。そこには東洋の武術との出会いがあった。

「『グリーンホーネット』というドラマに出ていたブルース・リーを好きになって中国拳法をやりたいと思いました。ところが僕の家の近くにあったのは中国拳法ではなくて柔術の道場でした。当時の私はその違いもよくわからなかった。もしあの時に中国拳法を学んでいたら、今頃、北京か、上海か、南京にいたかもしれない。でも、投げ技が得意だった僕は柔道のとりこになった。そして世界最高峰の講道館を目指して、高校を卒業してから日本にやってきたんです」


 デビッドさんが講道館に憧れて来日する際、母親が3冊の本をプレゼントしてくれたという。そのうちの一冊が大相撲初の外国人関脇、高見山大五郎の自伝だった。ハワイ生まれの高見山は明るい性格でテレビやCMなどにも引っぱりだこ。日本のみならず世界的に有名だった。彼と相撲との出会いはここからスタートすることになる。そして講道館での寒稽古中、あることに気づいた。彼を指導している先生たちが5時を過ぎると消えてしまうのだ。


「大相撲の場所中、先生たちはテレビに釘付け。大相撲に熱狂していたのさ(笑)」

大相撲の国際化の背景にあるもの

 その後、アメリカに一時帰国し、3年後に再来日する。今回は上智大学国際学部に入学。とにかくたくさんの本に囲まれて育った彼は物書きを目指す。そして大学卒業後、本格的に相撲と触れ合う機会を得る。


「大学を卒業し、それまで手がけていた翻訳だけでなく、幅広い仕事をするようになった。日本の映画、音楽、文化を外国人向けに英語で書くようになったんだ。そんな僕をおもしろがった大手出版社から渥美清さんへの取材の依頼が来てね。自分は『男はつらいよ』シリーズの大ファンだったから、すごくうれしかった」


 そう、笑顔で語るデビッドさん。『男はつらいよ』のほとんどの作品を見ていた。そんな彼を渥美さんも気に入り、渥美さんとの交流が始まった。 『男はつらいよ』についてはこんなエピソードがある。大学時代、クラスの担当教授が生徒全員に日本の文化を海外の人に紹介するのに向く小説はなんだろうと質問をした。それに対してある生徒が『男はつらいよ』かなと答えた。映画だったにも関わらず、教授を含めそこにいたクラス全員が、その意見に納得したという。

 その後、毎日新聞の英字版からスポーツの連載をしないかと声がかかった。それをきっかけに大相撲の仕事をするようになるのだが、その頃から数えるともう200場所くらいの付き合いになる。

 デビッドさんが大相撲に関わるようになって、日本の相撲も大きく変わった。横綱はモンゴル勢に独占され、世界中の若者が土俵を飾るようになった。

「相撲の国際化と言われるけど、実際には外国人力士はそう多くはいないんです。総勢680〜690名の相撲取りのなかでわずかに40名。一部屋に一人という制限があるのでそれ以上増えないようになっています。外国人力士が大相撲を変えるという人もいるけど本当はその逆。変わるのは外国人力士の方。横綱だってそうです。白鵬関は頭が良くて勉強家、日本人より日本人らしい。日本人の理想の形に近づいているんだと思う」


 デビッドさんにとって横綱は「栄光への挑戦が約束された力士」。横綱になることで終わるわけではない。真の横綱になれるかどうかはその後の精進次第。そういう意味で横綱白鵬はもはや別格と言い切る。こうして外国人の横綱によって日本文化は継承されるようになった。そんな大相撲の未来を彼はどのように感じているのか。


「最近、アマチュア相撲の世界がすごくおもしろい。むかしは全日本相撲選手権大会に出てくるアマチュアの外国人選手はほとんどが柔道出身だったんです。ところが最近は小さな頃から母国で相撲をとっている選手が出てくる。しかもそこから大相撲の世界に入るプロが育っている。日本の大相撲を経験した力士たちが母国に帰り、後輩たちの指導にあたる。こうしたアマチュア相撲の世界的な広がりに希望を感じます」


おもてなしを考える前に日本人がすべきこと

 東京オリンピック招致の際に滝川クリステルさんが伝えた“お・も・て・な・し”というメッセージ。日本に永く住み、相撲という異文化にふれ、その素晴らしさを世界に伝えてきたデビッドさんにはどう映ったのだろう。


「“お・も・て・な・し”と軽くそう言うんだけど、日本のいけないところは日本の文化を知らなすぎるところだと思う。海外に出た時に自国の政治、文化、歴史を知らなければ自分のことを説明できない。これから、海外を知ろう、外国語を学ぼうということはもっと盛んになると思うけど、その前に日本の様々な文化のことを学んで欲しい。自分の国のことを知らなければ海外から来る人に本当のおもてなしはできませんからね」


 日本社会で何度となく繰り返され、そのたびに根本的な原因が明らかにされず、対策がうやむやとなるイジメ問題。集団で行われるいじめの背景にも同じような問題が潜んでいるとデビッドさんは考える。

「自分の文化を持たない人は錨のない船と一緒。錨がないと強い風や波にさらされて流されてしまう。そうならないためにも錨を持たないといけない。誰かに言われてあっちこっちにさまよい歩く日本人にならないためには、相撲、お茶、お花、三味線、歌舞伎、寅さん、黒澤の映画など、日本文化をもっともっと勉強し直すべきだと思うんです」

 

 インタビュー中、元気な男の子が学校から帰ってきた。少年野球に没頭するデビッドさんの息子さんだった。自分のよいところはすべて日本から学んだというデビッドさん。自分の子どもも地域の少年野球チームに入れ、日本流の礼儀を学ばせた。

 「私は日本と出会ったおかげで、柔道から、講道館から、相撲から、たくさんのものを学びました。1000年以上続いてきた伝統文化を守り、外国人に伝えていくことを続けていけば、嵐のような世界にあっても錨をもった民族としてこれからをリードする可能性は十分ある。逆にそうしないと日本の未来は危ういだろうと思います。そのためにも日本の文化を真剣に支えて、見つめ直して、進んで行って欲しいと思っています」

 

 そしてデビッドさんはインタビューの最後を次のように締めくくった。

 

「広島の平和記念館は世界のリーダーがリーダーになる前に必ず見るべき施設。今でもそれだけ強いメッセージを発信していると思います」

 

 私たち日本人が忘れかけようとしているもの。そこにこそ世界の人に伝えるべき価値がある。その存在を教えてくれるのがデビッドさんのような日本の文化を愛してくれる人たちかもしれない。他者に施す“お・も・て・な・し”の第一歩はまず自分を知ることから始まる。そう、東洋的な物事はいつも逆説的なのだ。 

 


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デビッド・シャピロ

1955年8月、ニューヨーク州ロングアイランドで誕生。ニューヨークの郊外で過ごした高校時代に日本古来の武術の一つである「柔術」と出会い、アジアへの興味が生まれる。高校を卒業した1973年9月に来日し、講道館に入門。1974年の夏、大学に進学の為にアメリカに帰国。 ニューヨーク州ニューポルツにある州立大学に入学し、アジアン・スタディーズを専攻する。1977年の秋に再来日。上智大学国際学部比較文化学科に入学。日本の歴史と文学、日本語を学ぶ。卒業後、プロのライター、通訳として仕事を始める。日本の国技である大相撲に造詣が深く、現在はNHK総合放送の大相撲中継の副音声で英語の解説を担当。NHK WORLD SPORTS JAPANにも定期的に出演している。上智大学コム・ソフィア賞を外国人として初めて受賞している。

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コメント: 1
  • #1

    加来義則 (日曜日, 24 5月 2015 14:17)

    以前、職場でご一緒しました。今も活躍されているようで、嬉しいです。

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