25周年記念インタビュー
2025年
5月
08日
木
「故郷は地球」25周年記念 上岡理事長スペシャルインタビュー (3/3)
エコロジーオンライン創立25周年を記念してスタッフが上岡理事長にスペシャルインタビューを敢行。
これまで語られなかった活動秘話から地球への思いまで、今後の展望も含めてすべてを語っていただきました。
利益のみを追求する企業は、社会から支持されなくなる

———今後の企業や行政は、地球に対しどのような姿勢で臨むべきだとお考えですか。
これまでの企業は、売上を最優先に考えてきましたが、今後は社会や環境への貢献を考慮しなければ、存続していくことは難しいでしょう。
利益のみを追求する企業は、社会から支持されなくなる時代が到来しつつあります。
環境問題や人権問題に真摯に向き合い、社会的な責任を果たすことが求められています。
音楽業界での経験を通じて、著名なミュージシャンの方々が環境問題に関心を持ち、行動することで、社会に大きな影響を与えることができることを実感しました。
環境問題への取り組みは、もはや一国のみで解決できるものではありません。
地球温暖化対策における国際的な枠組みであるパリ協定のように、国境を越えた協力が不可欠です。大気や海洋といった地球規模の問題に対しては、国際社会全体が協力して取り組む必要があります。
企業、国家、市民は、それぞれの立場で気候変動や生物多様性の問題について考え、行動していく必要があります。特に、生物多様性の喪失は深刻であり、人間活動によって失われた生命をいかにして守り、回復していくかが課題となっています。
生物多様性の保全は、人間社会の持続可能性にも深く関わっています。まだ見ぬ生命が、人類の健康に貢献してくれる可能性も秘めているかもしれません。
生物多様性の研究を進め、その恵みを活かすとともに、自然と共生していくことが重要です。
これらの問題に真摯に向き合い、解決策を探っていくことが、人類が地球上で生き残るための条件であると考えます。
今後も、様々な形で情報発信を続け、社会全体の意識向上に貢献していきたいと考えています。
それぞれの立場でできることを行い、地球の未来を切り開いていく

EOL編集部:上岡さんが、25年もの間、地球のことを考え続けて活動してこられた秘訣は何でしょうか。
環境問題に専門的に関わっている大学の先生や研究者の方々、そして多くの人々が懸命に取り組んでおられます。
私自身は、31歳という年齢で新たな人生をスタートさせたという点で、遅咲きであったと言えるでしょう。
もっと若い頃から活動していれば、もっと多くのことができたかもしれません。
40歳でNPOを立ち上げ、環境問題に取り組むことは、決して早いとは言えません。
しかし、時代は常に変化しており、時代に遅れないよう、常に学び続ける姿勢が大切であると考えています。
今後、いつ活動を終えるかは分かりませんが、環境問題は依然として深刻であり、解決すべき課題は山積しています。
近年の気候変動の影響は顕著であり、毎年のように最高気温が更新されています。
もはや、活動を辞めるという選択肢は存在しません。
環境をより良いものにしなければ、私自身も生きていけないという危機感があります。
気候変動問題の深刻さは増すばかりで、ひょっとしたら手遅れなのではないかという不安に駆られることもあります。
しかし、若い世代が新たな視点や技術を取り入れ、活動を始めていることに希望を感じています。
今後、どのような展開が待ち受けているかは分かりませんが、それぞれの立場でできることを行い、地球の未来を切り開いていくことが重要であると考えています。
「故郷は地球」
EOL編集部: それでは最後に、上岡さんの地球への思いをお聞かせください。
私自身は、根っからの環境保護活動家ではありません。
音楽が好きで、音楽業界に身を置いていた時期もあります。
そして、今も音楽業界の仲間たちと親交を深めています。
地球は、多くの人々にとって、かけがえのない故郷であり、生活の基盤です。
地球で生きていく上で、個人のエゴばかりを優先するのではなく、地球全体のことを考え、行動する必要があります。
音楽好き、映画好き、スポーツ好きなど、様々な人々がそれぞれの夢を叶える場所が地球です。地球がどのような環境であれ、人間はそこで生きていくわけです。
だからこそ、地球を良い環境に保ち、次世代に引き継いでいくことが重要であると考えます。
地球への思いは一言では言い表せませんが、様々な人々と手を取り合い、地球と共生していくことが大切だと考えています。
EOL編集部: 本日は誠にありがとうございました。
2025年
5月
01日
木
「故郷は地球」25周年記念 上岡理事長スペシャルインタビュー (2/3)
エコロジーオンライン創立25周年を記念してスタッフが上岡理事長にスペシャルインタビューを敢行。
これまで語られなかった活動秘話から地球への思いまで、今後の展望も含めてすべてを語っていただきました。
カリフォルニア州でエコロジー運動に出会う

———上岡さんが25年の長きに渡り、地球環境問題に取り組んでこられたことで、社会にどのような変化がもたらされたと感じていらっしゃいますか。
これまでの活動を通じて、社会の変化を実感しています。
遡れば、ソニーミュージックを退職したのは1991年のこと。現在に至るまで約35年の歳月が流れました。
自分がアメリカに留学していた頃は、平和運動やエコロジー運動が活発に行われていました。特にカリフォルニア州は、全米の中でも環境問題に対する意識が高い地域でした。
しかし、バブル経済が崩壊した当時の日本では環境問題への関心は薄く、問題意識を持つ人も少ない状況でした。
カリフォルニアではすでに環境に対する様々な取り組みが始まっていたので、そのギャップに驚いたことを覚えています。
「普通の人のエコロジー」誕生
約1年半のアメリカ生活を経て帰国後、日本で環境運動を推進するため、自分に何ができるのかを模索する日々が続きました。
そして、アメリカや日本での様々な方との出会いを通して、環境と身体の健康は密接に関わっているという考えに至りました。
アメリカでも東洋的なディープエコロジーという考え方が存在しましたが、日本ではまだ浸透していませんでした。
そこで、鍼灸や東洋医学といった分野から環境問題にアプローチすることを考えましたが、当時はまだ、環境問題と身体の健康を結びつけるという発想を持つ人はほとんどいませんでした。
週刊プレイボーイの編集部から仕事の依頼を受け、仙台から栃木に拠点を移し、ライターとしてエコロジー、IT、音楽の分野の執筆活動を始めました。
環境に興味のある方々にご協力いただき、エコロジーオンラインの前身となる「普通の人のエコロジー」というホームページを立ち上げ、自分もライターとして参画しました。
やがて、その活動がエコロジーオンラインへと発展していくことになります。
「上岡さんの時代が来るかもしれない」

当時、環境問題はまだ新しい分野であり、関心を持つ人も限られていました。
90年代後半には、ロッキング・オンの関係者から「上岡さんの時代が来るかもしれない」と言われたことがあります。ジブリ作品を見て育った世代が編集部に入ってくるようになり、裏紙を使うなど、環境に配慮した行動を取る人が増えてきたからだそうです。
それから月日が経ち、環境を巡る状況は大きく変化しました。
今日では温暖化という言葉は当たり前になり、気候変動、気候危機といった言葉が生まれ、ビジネスの世界でも環境問題を無視することはできなくなりました。
このような変化を目の当たりにし、活動を続けてきたことの意義を改めて感じています。
また、エコロジーオンラインのような活動が、クラウドファンディングのような新しい手法を取り入れ、若い世代によって発展していくことを頼もしく思っています。
EOL編集部 : ありがとうございます。今後の企業や行政は、地球に対しどのような姿勢で臨むべきだとお考えですか。
(3/3に続く)
2025年
4月
15日
火
「故郷は地球」25周年記念 上岡理事長スペシャルインタビュー (1/3)
エコロジーオンライン創立25周年を記念してスタッフが上岡理事長にスペシャルインタビューを敢行。
これまで語られなかった活動秘話から地球への思いまで、今後の展望も含めてすべてを語っていただきました。
上岡裕インタビュー
EOL編集部:本日はお忙しい中、お時間をいただき、誠にありがとうございます。
早速ですが、上岡さんが8年間お勤めになられた会社をご退職され、地球規模の問題について活動されるようになったきっかけをお聞かせください。
子ども頃から音楽に興味を持っていました。様々なアーティストやミュージシャンのマネージメントといった業務に憧れを抱いており、レコード会社の門を叩きました。
ソニーミュージックという会社は、邦楽と洋楽の両方を手掛けるレーベルであり、世界と繋がる取り組みにも参加できるのではないかと考えました。
また、当然のことながら、音楽事業のみならず、ソニーグループとして多岐にわたる事業に関わる可能性も視野に入れていました。
退職のきっかけは湾岸戦争

31歳まで、ソニーでの業務に携わらせていただきましたが、退職の契機となったのは湾岸戦争でした。
当時、ブッシュ(父)政権下において勃発した湾岸戦争を機に、アメリカ合衆国と当時のイラクとの間で戦火が交わることとなりました。
私自身、ソニー・ミュージックに勤務する前、国際基督教大学(ICU)に通っておりましたので、海外の仲間も多く、世界のミュージシャンや人々との仕事を通じて、何らかの形で世界に貢献できないかという思いを抱いておりました。
そんな時、アメリカのCBS(当時、ソニーの子会社ではなかった)への留学の話が持ち上がり、社内選考が行われることになりました。
興味のある先輩や後輩が手を挙げる中、私も応募し、最終面接まで進みました。
しかし、選考結果はなかなか発表されず、上司に問い合わせたところ、その計画自体が立ち消えになったという返答を受けました。
自ら決断して行動しなければ人は動かじ

直接、担当者に確認したところ、「留学を希望する人材を派遣することは意義があるが、現場で活躍している人材が抜けることは組織にとって痛手である」という意見が上層部から出て、計画は一旦白紙に戻されたとのことでした。
「とりあえず、また話があるかもしれないから、それまで仕事に励んでほしい」と言われましたが、別れ際に上司から大江千里やエレファントカシマシの担当をしていることを伝えると、「君も忙しいな。頑張りなさい」と言われただけで終わりました。
私としては、折角勉強したのにという思いもあり、非常にショックを受けました。
結局、ソニーに在籍していても、何かをやりたいと思っても、自ら決断して行動しなければ人は動いてくれないということを悟りました。
油まみれの水鳥の映像に衝撃
長年親交のある先輩や上司に相談したところ、「アメリカで学びたいのであれば、辞めて行っても良い。これからはアメリカと日本、ひいては世界のエンターテイメントが繋がる時代になる。もし、君が退職してアメリカから戻ってきても、協力してくれる人は多いだろうし、ソニーに復職することも不可能ではないだろう」という言葉をいただきました。
これらの経緯を経て、自分でアメリカへ行くことを考え始めました。
その決意を固める上で、湾岸戦争が大きな影響を与えました。アメリカに留学したいと思っていた矢先に勃発した湾岸戦争を通じて、環境破壊の現状を目の当たりにし、衝撃を受けました。
特に、水鳥が油まみれになっている映像は忘れられません。(後にこれはfakeだと分かったのですが)これらの映像を前に、環境問題について学びたいという思いが募り、高校時代に影響を受けた田中正造氏の存在を思い出し、環境問題に取り組むことを決意しました。そして、会社を退職し、アメリカへ渡りました。
EOL編集部 : ありがとうございます。
上岡さんが25年の長きに渡り、地球環境問題に取り組んでこられたことで、社会にどのような変化がもたらされたと感じていらっしゃいますか。
(2/3に続く)










