「和綿蒲団」の夢

千葉市緑区の週末ファマーズ和棉畑で
千葉市緑区の週末ファマーズ和棉畑で

太陽の恵みの塊がコットン布団

 

 今年もコットン畑では太陽の強い日差しに急かされるようにワタの花が咲き始めました。(写真)この花が落ちるとコットンボールが膨らみ始めます。夏から秋にかけてコットン畑は白くてフカフカのコットンボールが次々と膨らんできます。この情景を見ていただけば、コットンボールのやさしい感触は大自然からの贈り物、太陽からの恵みの塊りそのものであることが実感できます。

 コットンと人類のお付き合いは長く、その柔軟性に優れた繊維の特性からさまざまに加工され、衣料品、生活用品、寝具など活用先は無限の広がりを見せています。またその加工段階でも織や染、縫い、など奥深い技能を生み出し、暮らしに潤いをもたらしてくれています。コットンは人々の暮らしを守り育てる必需品になっています。

コットンはワタ(綿)です。現在商業ベースの国内栽培は行われていませんので100%輸入に頼っている状態ですが、かつては日本各地でその地の気候風土に適した「和棉(ワワタ)」が栽培されていました。ワタの種はおよそ1200年前に日本に持ち込まれたといわれていて、それから長い年月をかけて日本各地に栽培地が広がっていきました。江戸期には全国各地でその土地独自の品種改良が行われ、ワタの特産地として大量に栽培する地域も生まれました。

 考えてみれば、自然から与えられる食物以外の産物で、最も生活に欠かすことのできないものと言えばコットンになるのではないでしょうか。コットンと人類は、厳しい自然環境から人の肌を守る、切っても切れない、文字通り「身近」な関係になっています。

 コットンボールが太陽からの恵みなら、そのコットンボールのフワフワをいっぱい詰め込んだコットン布団は太陽のやさしさの塊です。そのコットンの塊りに体を沈めて眠りにつくことは......。

――それは大自然の恵みに包まれ、癒される、至福のときが与えられていることになります。

 

コットンは自給率0%です。

 

 このように暮らしになくてならないコットンですが、現在では素材としてのコットンは国内自給率0%です。また、加工品である綿布、衣料品、布団まで、海外で大量に生産され、安価に輸入されています。国内コストでは到底考えられない価格で販売されているこれらの綿製品のために、まだ着られる服も捨てられ、フトンもほとんどが打ち直されることなく使い捨てられています。

 かつて国内各地で栽培されていた日本のワタ、和綿も、安い輸入品に押され、ほとんど絶滅してしまいました。同時にワタにまつわる貴重な技法や伝統も消滅しつつあります。ワタと人とを結びつけていたものは、織、染め、文様、着物、蒲団など、先代から伝え継がれてきたモノ造りの豊かさと潤いの心ではないでしょうか。この技能は幾代にもわたって昇華され、芸術作品の役に至ったものもあり、各地域の生活に定着した文化と切り離すことのできないものになっています。

 そのことに気づいた方々の中から和綿への見直しが始まりました。和綿を改めて見直すことは、自らの文化的誇りを再確認することにつながっていました。和綿の栽培を絶やしてはならない、和綿の種子を次代に残そうという動きが各地域で高まっています。現在日本各地から、ワタの栽培とワタにまつわる伝統や技法を再現する情報が伝わってきています。

 千葉県鴨川市でおよそ30年前から和綿の絶滅に警鐘を鳴らしてきた、鴨川和棉農園の田畑健さんは、「和棉のタネを守るネットワーク」を作り、自らも日本各地の和綿種を収集、栽培、保存し続けてきた方です。その成果は近年になってようやく実を結び、田畑さんの和棉農園で絶滅を免れた日本各地の和綿種が、再び元々の地域の畑に還され、蘇り始めています。

 和綿の栽培といっても、生産コストの面では輸入綿花の十数倍になりますので、商業ペースの栽培にはなり得ません。ですから自給率の向上というような段階ではありませんが、ワタを通して先人たちの思いを知り、ものを作り出すそもそものこころの豊かさを取り戻そうということではないかと思います。それはまた、物の原点を知り、大量生産では得られない、ものの本来の価値、つまり本物を極めることにつながるのではないでしょうか。

 

 

純和綿蒲団の復活がわた屋の夢

 

 私ども寝具店の始まりは「わた屋」でした。今「わた屋」の原点に立ち返り、和綿を愛する皆さんとともに、昔ながらの和綿のワタとそれに和綿の織物で純粋の「和棉蒲団」をつくりたいなぁ、と話し合っています。この蒲団は栽培から完成品に至るまで、すべての工程が昔ながらの手作りです作ろうというものです。多くの人々の思いと汗が込められた布団が出来上がることでしょう。

 和綿畑ではどんなに豊作でも一段歩(300坪)収量では大人の蒲団10枚程度しか採れません。つまり田んぼ一枚で一年間でその程度なのです。

また側生地の面でも各地の伝統織物が復活しつつありますが、糸つむぎから織布までの工程は膨大な手作業が続きます。和綿蒲団の側生地は着物幅で12メートル使いますが、織上がるまでにおよそ一年近くかかると聞いております。このように一枚の和綿蒲団の完成には大変な工程がつづきます。当然のことですが、コストの面ではかなり高額なものになってしまうのです。

 しかしながら、昔の人はこの工程をコツコツと続けてきたのです。農家では女の子が生まれるとワタを植え始め、毎年の収穫を貯め続けて十数年、娘が成長し嫁ぐときの「婚礼蒲団」をそのワタで作ったといわれています。布団作りがいかに大仕事だったかがうかがえます。

 この工程までも現代に蘇らせることも目的の一つです。古の文化の再現作業となることでしょう。私たちがなぜ和綿蒲団を蘇らせたいか、――それが本物の蒲団だからです。

 

(つづく)

 

PROFILE

親松 徳二(おやまつ とくじ)

1936年東京生まれ、親松寝具店3代目、1998年エコふとんショップに転換、自然素材寝具の制作、1999年同業者とふとんリサイクル推進協議会設立、布団リサイクルを発信

2000年インターネットショップecofutonオープン

2001年オーガニックコットンふとん、和綿「弓ヶ浜」布団など発売

2008年2月店舗閉店、現在ネットショップで営業中

 

http://www.ecofuton.com/

 

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