<アースタロット>木との関係を見直そう

CC BY-NC 2.0 by Ville Miettinen
CC BY-NC 2.0 by Ville Miettinen

前回2回にわたり、地球と人間との関係性をタロットに聞いてきました。

そのことを考えながら歩いていた時、じゃ、木はどうなんだろう?と疑問がわき上がりました。

どんなに都会に住んでいたとしても、私たちのまわりには、どこかに必ず木があります。

木は地球にとって、もしくは私たち人間にとって、どんな役割を果たすことになっているのでしょうか? 

木と人間の関係性はどのようなものなのでしょう? 

今回は、木々の存在についてタロットに聞いてみました。

CC BY-NC-ND 2.0 by Matthew Paulson
CC BY-NC-ND 2.0 by Matthew Paulson

木がないと人間は流されやすくなる?

まず木の役割としては、地球と人間とのコミュニケーションの媒体となっているようです。

少なくとも地球はそのように木の存在をとらえているように見えます。

人間に変化を促し、安定させ、そして人間を守るように。

木がないと人間は流されやすくなるようです。感情もそうですし、実際、雪崩などの災害が起きた場合を考えてみると、物理的にもそうなのでしょう。

 

地球にとって木は、良い仲間でありチームのようなものなのだそうです。

大統領と側近のような雰囲気で、地球が手を出せないところは木が代わりに手をのばしているような印象が。

前回までにお伝えしましたように、もちろん地球は木だけではなく人間のことも大好き。

人間も木も同じように仲間だと言ってきます。

しかしタロットカードで見る限り、地球と木の関係性というのは、我々人間との仲よりももっと気心が知れているような感じがしました。

 

木は不必要なアプローチはしない

木は、地球に対して強固に安定した一定のエネルギーを送っているようで、それは地球と信頼し合っている強い絆を示しているようです。

 

よく気持ちが落ち着かない場合は "グラウンディング(しっかりと足を地につける、いまここに生きる)" をすると良いなどと聞きますが、そのイメージは木が地球の奥深くに根をはるような感じなのだそうです。

さすがモデルにされるだけあって、実際の木々はその "グラウンディング" をごくごく自然に完璧に行っている様子。見事な安定具合です。

 

一方、地球は、木よりももっとエモーショナルな感じに見えます。木から伝わってくる落ち着いたエネルギーも良いけれど、それだけでは地球はちょっぴり退屈そうで、マンネリ感があるっぽい。

もっと愛想みせてくれてもいいじゃないか?とでも言いたげです。

 

木は誠実ではあるけれども朴訥とした印象であり、地球のように先回りして人間の感情を察知しようとすることもありません。不必要なアプローチは一切しません。その必要がないことを知っているからなのだそうです。

 

木は人間と自分が同じようなものと思っている

そんな寡黙な木々をみていると、地球も人間も、どうしても彼らともっとコミュニケーションを図ってみたい!と感じてしまうようでした。

そして我々人間は恐る恐る木を触ってみたり、本で読んだマネ事で心の中で木に声をかけてみたりしています。

 

しかし、木はじっと息をひそめているだけ…!

 

木には人間がどういう意図で自分に接してきているのかが全くわからない様子。

人間が自分と本気でコミュニケーションしようとしているだなんて、とてもじゃないけど感じることはできないようです。

人間としてはちょっと自分とはちがうものに触れてみた、という感覚でしょうけれども、それが木にとっては「異物に触れるかのような意識で触れられている感覚」として不気味な感じがするらしく…。沈黙に入ってしまっているようですが…。

 

つまり、人間は、”木と自分が同じようなものだとは思っていない” 。

けれども木の方は、”人間と自分が同じようなものだと思っている” のだと思います。

 

だから「なに?!その触り方は!?」という感じで、木は人間のアプローチの仕方に疑問を感じるのかもしれません。

 

形は違えども人間と全く違わない生き物がただそこに在る

おそらく人間は、"木よりも自分は優位な存在だ。なぜならば木を好きにすることができるから" という感情がどこかにあるのではないでしょうか。

文字通り、根っから真面目で純粋な木にとって、そのような人間のエネルギーの出方は甚だ疑問でしかないのでしょう。

 

おかしいのは、それでも人間は木に触ったり感じようとしたりすることで勝手に充電ができていることです。沈黙する木の声を聴こうとして直感アンテナを立てるために原始的な回路が開かれることになるらしい。それがほんの一瞬だったとしてもです。ちなみにそれは宇宙的に見ると良いことだそうです。

 

ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」という映画の中で、主人公の男性が木に向かって誰にも言うことができない秘密をささやくシーンがあります。

 

あれはまさに人間から見た木の印象そのもの。

人間からみれば木というものは、すべての秘密をしっかりと守ってくれるような、口の固い、そしてどこか少し何か腹にイチモツありげな、そんな存在。

 

木と人間の間にこのような感覚の隔たりがあるとしたら、私たちはどんなふうに木を意識すれば良いのでしょうか?これは木でも地球でもなく、もっとそれ以上に大きなところに質問しました。

 

答えは、

 

 

木も人間と全く平等に、同じようにそこに在るのだと受け止めること。

 

それが、唯一正しい木々との在り方だそうです。

意思疎通ができると本気で信じているわけでもないのに、ムリヤリに木とコミュニケーションを図ろうとしないこと。

逆を言えば、形は違えども自分と全く違わない生き物がただそこに在るのだ、ということさえ認識できれば、それだけで木とのコミュニケーションはすべてOK!なのだそうです。

 

木々に意識があるとかないとか考えずに、ただ並木道を歩いてみたら…? 

 

その立ち並ぶ木々がすべて自分と同じようなものだとしたら?

 

生きている人間のようなものが、ずらりと誠実にそこに立ち並んでいたら?

 

どーですか?!

 

彼らの存在感に圧倒されて、頭がクラクラしませんか?

R(あーる)

…人間のエネルギーを Tarot カードに降ろして、魂からの原始的な情報を伝える仕事をしています。渋谷Angel Stone(現在は休み中)、多摩センター、電話、Skype、クラブイベントなどにて。電話&Skypeセッションは、毎日当日予約のみ受け付け中。大好評血液型別タロットリーディングもblogにて月1更新していますのでよかったらチェックしてみてくださいね⇨ 【Primitive Code】

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