<Music Go! green アルバム再掘レビュー>#2 加藤和彦 / ぼくのそばにおいでよ

 

今年2016年は邦画豊作の年であった。

「シン・ゴジラ」「君の名は。」他、上げればキリがないが、年末も迫った11月12日に公開となった映画「この世界の片隅に」は、呉を舞台に主人公のすずが戦争と隣り合わせの日常を送るという内容。コトリンゴの歌う「悲しくてやりきれない」が作品を絶妙に引き立たせている。

「悲しくてやりきれない」はザ・フォーク・クルセダーズの楽曲であるが、その中心であった加藤和彦と言えばみんなさんは何を思い浮かべるだろうか。

 

自由の気風

加藤和彦と言えば「帰ってきたヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」他、盟友北山修との作品を思い出す向きも多いだろう。

加藤和彦は現在では日本のフォーク界の旗手との認識が多い。しかし、彼はいつでも時代の最先端にいたことをお忘れではないだろうか。

残念ながら彼は2009年、鬱病によって亡くなってしまった。だが、このまま彼をフォーク界の旗手として時代に埋もれさせておくのはあまりにも惜しすぎる。

映画が公開された今だからこそ、この機会に加藤和彦の音楽への今一度の再考をしてみたい。

フォーククルセダーズ

左から、はしだのりひこ、北山修、加藤和彦
左から、はしだのりひこ、北山修、加藤和彦

60年代、加藤はフォーククルセダーズというある年代にとっての「時代の象徴」ともいえる伝説のグループを率いていた。

 

「フォーク」という単語がグループ名に入っていることから誤解を招かれてきたことであるが、実際は「フォーク」以前より活動したグループであり、もともとは世界の民謡(=Folk)を紹介する十字軍(=Crusaders)というコンセプトから生まれたバンド名である。

 

この偶然の奇跡ともいうべき命名は、後々加藤を苦しめることになる。

 

加藤はこのグループで作曲家としてのキャリアをスタートした。

そもそもメンバーは3人ではなかった時期もあるのだが、一般的な認識としてのフォークルとは北山の通っていた大学が1年の休学の憂き目にあっていた時分に、限定的に再結成された3人編成のトリオのことである。

 

ご存じ「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒットを飛ばし、フォークル解散後、加藤和彦は、ミカ夫人、高橋幸宏、小原礼、高中正義らを率い、サディスティックミカバンドを結成。その後の活躍は言うまでもない。

フォークル以降、ミカ以前

69年作 初のソロ作品 「ぼくのそばにおいでよ」
69年作 初のソロ作品 「ぼくのそばにおいでよ」

フォーククルセダーズを解散し、ミカバンドを結成するまでに彼は2枚のアルバムを発売している。

ナショナル住宅で有名な、と言えばいいのだろうか、「家をつくるなら」が入っている1971年作の「スーパー・ガス」と、この1969年作の「ぼくのそばにおいでよ」だ。

この2枚、発売時期は2年弱ほど間が空いているのだが、そのためか前者がサイケ・フォーク、後者がグラムロック・アシッドフォークと、加藤の興味の移り変わりを示している。 

 

71年作 「スーパー・ガス」
71年作 「スーパー・ガス」

フォーククルセダーズの世界を拡張したような「ぼくのそばにおいでよ」と、ミカバンドの予告編のような「スーパー・ガス」という関係になる。

 

 

知ってか知らずか、フォーククルセダーズは演劇的な世界観というものを演出することが多々ある。「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」というライブ盤では視覚と聴覚に訴えかける時代を先取りしたライブ(残念ながら映像は残っていない)を行っていたようだ。

 

その点、ミカバンドはその演劇場から一歩踏み出したスケールのある音楽が魅力だ。

 

いかにして加藤は演劇場から踏み出したのだろうか。そのミッシングリンクがこの「ぼくのそばにおいでよ」である。

音のおもちゃ箱

当初の加藤和彦のアルバムは満足に再発されているとは言い難く、何らかの企画の一環としてオリジナルアルバムが再発されているという状態で、非常に入手が難しい。そのことも氏の再評価の難しさを物語っている。

そうした不遇はアルバムを出した当初も同じだった。もともとこの「ぼくのそばにおいでよ」は2枚組で構想されており、加藤が考えた題名は「児雷也」であった。しかし、レコード会社によって1枚に変更され、曲順、収録曲、タイトルと全てがレコード会社主導によって決定されてしまうという憂き目に遭う。このことはアルバム内の「児雷也顛末記」において、加藤が詳細にかつ冷静に記述し、会社への忠告を発している。

内容についてであるが全ての曲がジャンルによらず箱庭的であり、曲ごとに印象がガラリと変わる様は収録曲のタイトルを借りて言うならばまさに「僕のおもちゃ箱」である。中には9分以上に及ぶ大曲も含まれているのだが、壮大でありつつもどこか内にこもった演劇的な世界観である。

 

加藤和彦の幸福

ただ、不思議なことに「日本の幸福」と題された3曲からなる組曲についてはスケール感がありつつも、私小説的な楽曲となっており、「スーパー・ガス」以降の彼の作風を先取りしたかのようである。しかし、この楽曲が書かれたのはとあるアングラ演劇団の劇中歌であり、その主催者である佐高信が作詞を担当している。(基本的に加藤は詩を自分で書くことは無い)

極めて意味性が希薄な歌詞であり佐高と加藤の意図を読むことは不可能に近いが、裏を返せばそれは「帰ってきたヨッパライ」以降ずっと楽曲の中で登場人物を演じることを良しとしてきた加藤がそれを拒否したということだ。

皮肉なことに演劇の劇中歌において加藤は初めて演劇場を抜け出したことになるのだ。

 

またタイトルは「日本の幸福」となっているが、これは曲を書いた劇やドラマの題名であり、恐らく本人が自ら付けたと思われる英題にも注目すると「This Is My Land」“これが僕の国”となっている。これが加藤の本当に付けたかったタイトルでは無いかというのは考え過ぎだろうか。

 

 

 

能年玲奈改め、のん主演の映画「この世界の片隅に」では作中の展開を予見させるように冒頭に「悲しくてやりきれない」が使われている。この歌詞についてはサトウハチローの独断で書かれ、彼の得意とする童謡の詩を大人向けに書き直したかのような秀逸なものである。この歌詞の中で主人公はただ眺め、傍観するだけのように日々を嘆きながら過ごしているが、これはまさしく劇中のすずの姿と重なるものでありこれ以上無い選曲と言えるだろう。

「日本の幸福」の主人公もまた受け身の姿勢が見受けられるが、そこにはすでに嘆きは無く微かに未来への希望も読み取れるのである。

映画のその後、果たしてすずは“これが私の国”と唄えるような人生を歩んだのか。

文 / 上岡賢

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