2016年

6月

03日

小さな奇跡の見つけ方 火を見失った現代文明

火は危険。しかしいざという時にはとても重要 CC BY-ND 2.0 Andi Tamplin
火は危険。しかしいざという時にはとても重要 CC BY-ND 2.0 Andi Tamplin

熊本、大分に地震の余波が続いています。東日本大震災後、ここ栃木でも余震が続きました。枕元に災害用グッズと靴を用意し、いつでも外に飛び出せる服装で寝ていた頃を思い出します。いちはやい地震の終息をお祈りします。

今回の熊本地震ではエコロジーオンラインも再生可能エネルギーによる支援を思い立ち、ソーラーパネルと蓄電池を装備したソーラーパワートラックを熊本に派遣。避難しているみなさんを勇気づけるライブを届ける活動を始めました。エコロジーオンラインのホームページにGreenPower forくまもととして具体的な活動を記しています。次の連載では最初の派遣についてご報告もできそうです。  

電気に過度に依存する暮らしが明らかに

今回の熊本地震ではご高齢の男性がテレビのインタビューを受けて「携帯電話の電池が切れないか心配」というコメントを残していました。かなり上の世代の暮らしまで携帯電話が当たり前のように入り込んでいることを痛感しました。

私たちも東日本大震災後、「ナノ発電所」という小さなソーラー発電機器を開発して、災害時に携帯電話に充電するという機能を訴え、全国販売をしてきました。そういう意味では我が意を得たりというインタビューだったわけですが、あらゆるものを電気に依存してしまう私たちの暮らしには不安も感じます。

たとえばすべてを電気に依存した人たちのの暮らしからは火が消えました。現代の子どもたちのなかには火というものを体験せずに育つ子も多いのです。自然体験学校の仲間たちは火が熱くて危険だということを知らない子どもがキャンプファイヤーの火をつかもうとして危ないと嘆きます。そうした子どもたちの存在は自然学校を経営する人たちの共通の悩みとなっているのです。

「脱電気」も考えるべき課題

電気は便利なものです。しかし、暮らしのすべてを電線から送られてくる電気に依存してしまうと、いざというときに火が使えない人たちが増えます。日本列島が激動期に入った今、私たちは「脱電気」ということも視野に入れておく必要があるでしょう。

家づくりにおいても、ZEHとかプラスエネルギーハウスというコンセプトが出て来ています。そのこと自体は地球温暖化防止を進めるうえで良いことだと思います。しかし、中身を見てみるとどうでしょう。暮らしのすべてが電気を通してコントロールされるようなものになっていないでしょうか。日本に地震や台風などの災害がなくて、いつでも電気につながって、低炭素な暮らしが営なめるなら良いのですが、実際を考えるとそうとは言い切れません。

いつどこで地震が起きるかわからない。そのことを考えると、個々の生きぬく力を養っておくことも重要です。都市で暮らす人のエネルギー自給能力は脆弱です。電力に依存するだけでなく、違う選択肢も踏まえた暮らしの設計が必要なのではないでしょうか。

パッシブデザインの先にあるもの

建築の世界にはそれを先取りしたパッシブデザインという考え方があります。すべてを電気に依存せず、自然から与えられる光や熱を活用し、あるものは受け入れ、あるものは受け流すというのが基本の考え方だと思います。この考え方を建築の世界だけに止めておくだけではもったいない。多くの人が地球の持続可能性を追求したとしても、それが個別の分野の活動であれば本当に力を為さない。業界の壁を超えて多くの人がつながることによって見えないものが見えてくる気がします。

電気に象徴される現代文明に過度に依存したことが地球環境問題を生み出しました。そういう意味で「脱電力」の暮らしをつくれるかということも新しい文明の一つの形である気がします。その流れのなかで建築を越えた衣食住やライフスタイルをどのようにパッシブ化するかを社会に問うことも必要なのではないかと思います。

東日本大震災をきっかけに再生可能エネルギーについて考える人がまわりに増えました。大きな震災は自分たちの暮らしを見直させるだけの力を持っています。この震災をきっかけに、地球温暖化も抑止し、人が強く生き抜くのにも使える新しい文明が見つかるかもしれませんね。

文 / 上岡裕
(協力:日本住宅新聞)

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