映画『トラブゾン狂騒曲 ~小さな村の大きなゴミ騒動~』がもうすぐ公開

私の実家の前には、ゴミの集積所があります。玄関を開けたら、もう目の前です。ネットで覆うようになっていますが、ときどき猫やカラスがゴミを食い散らかすし、臭いはするし、気持ちのいい場所ではまるでありません。

 

もしこの場所が必要だとしても、もっと適切なやり方はあるだろうになあ、と思います。たとえばベトナムでは、プラスチック製の蓋が付いた大きな箱にゴミを集めます。収集車にはアームが付いているので、箱を自動的に持ち上げ、中身を入れてくれます。人手もかかりません。

 

この映画は、ゴミ処理にまつわる適切でないやり方を象徴する作品です。舞台となるのは、トルコ北東部の村、チャンブルヌ。人口2,000人足らずの小さな村に、2007年、ゴミ埋立地が建設されました。かつて銅の露天掘りをしていた大きな穴が、処理場に最適だと思われたのです。そこは、民家のすぐそばでした。

 

ビニールシートで覆われただけの粗末な埋立地に、年間10万トンを超えるゴミが運ばれてきます。臭いを打ち消すために、「香水を散布する」という冗談のような施設が併設されましたが、効き目はほとんどなく、村人はいつも袖で鼻を押さえなければなりません。雨が降れば、ゴミ捨て場を経由した汚水が、海にまで流れていきます。

 

チャンブルヌのゴミ処理場は、わずか10年で満載になるといいます。まさに、その場しのぎのゴミ行政の結果として生まれた場所なのです。

 

汚水漏れに抗議をする住民に対し、ゴミ処理場の技術者が、ポケットに手を突っこみながら自信なさげにこう伝えるシーンが印象的でした。

 

「そのうち、なんとかなるだろう」

 

私は、このずさんな埋立地と対照的な処理場を訪れたことがあります。そこは、タイのピサヌルークという街にありました。もちろん、民家からは離れた場所にあります。途上国では珍しく、整備された埋立地でした。たとえば、単純にゴミを投棄するだけでなく、土を適宜被せていくことで、臭いを防ぎ、獣に荒らされることがないようにしています。

 

ピサヌルークのゴミ処理場がなにより特徴的なのは、ゴミの「採掘」をしていることです。一度捨てられたプラスチックゴミを集め、油化することで燃料にしているのです。プラスチックは石油でできていますから、熱すれば石油に戻すことができます。彼らは、ゴミを「資源」として見ているのです。

 

しかし、トルコでも日本でも、私たちはたいていゴミを「ゴミ」として扱っています。それを粗末に、できるだけ遠ざけ、隠そうとしています。その結果として、何が起きるのか? それはこの映画をご覧ください。

 

ファティ・アキン監督作品「トラブゾン狂騒曲 ~小さな村の大きなゴミ騒動~」は、8月17日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにて、順次全国公開されます。

 

(取材・文 瀬戸義章)

 

公式サイト : http://www.bitters.co.jp/kyousoukyoku/ 

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