行政だからできることを、女性らしく、大胆に。

eco people file:093

 

平日は霞が関の環境省に勤め、週末は八ケ岳山麓で家族とともにスローな田舎暮らしを送る、中島恵理さんにお話を伺いました。

取材・文/中島まゆみ

撮影/黒須一彦

中島 恵理(なかじま えり)さん

 

京都府出身。1995年京都大学法学部卒業後環境庁入庁、水質保全局、企画調整局環境計画課を経て、1999年から2001年まで英国留学、2000年ケンブリッジ大学土地経済学科修士課程取得、2001年オックスフォード大学環境変化管理学科修士課程取得。その後、環境省地球環境局総務課、地球温暖化対策課、経済産業省資源エネルギー庁新エネルギー対策課、環境省水・大気環境局水環境課、総合環境政策局環境教育推進室、民間活動支援室を経て、2011年4月から2年間、長野県環境部温暖化対策課長を務める。2013年4月より現職、環境省自然環境局総務課課長補佐。

 

長野県の自然エネルギー普及に尽力した、震災後の2年間

 自然エネルギーの普及で先駆的な取り組みを打ち出している長野県。地域の力があってこその自然エネルギーの取り組みだが、それがネットワーク化される背景には縁の下の力持ちとも言える人が存在する。その一人が今回ご紹介する中島恵理さん。環境省から長野県庁に出向していた2年の間に多くの自然エネルギー事業の下支えをしてきた。

 

 ときは2年半前の2010年にさかのぼる。4月、自然エネルギーの普及を目指す地球温暖化対策課が新設され、その課長として長野県庁に赴任した。

 

 「まず取り組んだのは、地域をネットワークで結ぶことです。長野県はとても広くて、南部に位置する飯田市などは北部にある県庁から3時間もかかるんですね。そのため各地域はいい意味で独立心が強く、自然エネルギーに対しても民度の高い先進県なんです。そのポテンシャルを活かして、市民、NPO、地元企業などの動きをネットワークでつないで全県的な取り組みに発展させる『自然エネルギー信州ネット』の立ち上げに尽力しました。東日本大震災の直後ということもあり、気運もとても高まっていましたね」

 

 設立までは着任から3カ月足らず。いまでは約20の地域レベルの協議会も立ち上がり、これら協議会とも連携する一大ネットワークに成長。草の根レベルの自然エネルギー事業を行うインキュベーション的な役割を果たしている。

 具体的には、公共施設やオフィスビルの屋根の一部を太陽光発電事業者が借りて売電事業を行い利益を地域に還元する”屋根貸しビジネス”をはじめ、ガス代等の削減分で支払う初期投資ゼロの”太陽熱0円システム”や”木質バイオマスペレットストーブのリース事業”、事業に必要な資金を市民出資で行うシステムなど、先駆的でユニークな事業モデルが次々と誕生した。長野県では、地域に合った自然エネルギーを市町村レベルで導入し地域活性につなげる “1村1自然エネルギープロジェクト”も始まった。

 

 「何もかもが初めてでした。特に屋根貸しは前例がなく、設置可能な場所を調査する執行予算すら当初は承認が得られない状態でしたが、長野県としてまずは諏防湖流域下水道豊田終末処理場の屋根にターゲットを絞りました。その際、地域を活性化しながら地域に新たな太陽光発電事業者を育成したいという観点から、公募の条件に、長野県内に本店を置く事業者であること、地域資金を活用すること、売電収益を還元すること、売電事業のノウハウを公開することを設定して、単なる屋根貸し事業に終わらないよう気をつけています。

 前例がないことは難しく、手続きには相当な時間もかかりました。事業化にあたっては、地域の事業者が地域の資金を活用して地域に知恵と利益を還元することで、経済と知恵の循環を地域に生み出していくことが重要です。制度としてそれを整えることが行政の役割だと思っています。本当の意味での普及はこれからですね」

 

セルフビルドで家に10年、薪ストーブを半年かけて造る、スローな暮らし

 中島さんは、歌うようにやさしい声でていねいに言葉を紡ぐ。小柄で華奢な身体はやわらかな空気につつまれているかのようだ。話を聞くにつけ、行政用語をスラスラ話す姿とのギャップに驚いてしまう。その素顔を少し覗いてみたくなり、ご主人との馴れ初めを聞いてみた。

 

 「昔、マクロビオティックの料理教室に通っていたんです。そこで出会ったのが、同じ生徒だった主人です」。照れながらもそう答えてくれた中島さんは、入省1年目だった当時、玄米菜食と称される食生活法”マクロビオティック”に傾斜した。一方のご主人はNGOの職員として渡っていたアフリカでやはりこの食生活法に出会い、帰国後あらためて勉強し直していたところだったという。感性が似ている二人はすぐに意気投合した。

 

 結婚後は、ご主人の実家がある八ケ岳山麓に居を構える。平日は中島さんが霞が関の環境省に単身赴任状態で勤め、ご主人が自給用の農業をしながら小さな2人のお子さんを育てている。常時20種類以上あるという野菜のほか、コメ、大豆、ヒマワリなども栽培し、味噌や醤油、油までの自給に挑戦中だ。エネルギーも、暖房と風呂はすべて近隣で出る間伐材の薪を使用。ガスはひかず水道と電気だけを利用しているが、屋根にのせた3kWの太陽光発電の売電分と相殺してもそれなりの金額が入ってくるそうだ。

画像:Eri Nakajima
画像:Eri Nakajima

 「主人は最初から東京に住むことは考えていませんでしたし、私も自然が好きなので、八ヶ岳に帰れない週末は息苦しさを感じるほどです。八ヶ岳では何もかもが本当にスローなんです。家も暖房ものんびり手作りしています。レンガを積み上げて造った薪ストーブは完成まで半年、10年前に始まったセルフビルドの家づくりは、住み始めてから3年になりますが、これから給湯関係の工事をする予定です。住みながら成長する家ですね」。そう言って笑う。

 

 子どもは、園舎をもたず森で毎日を過ごす「森のようちえん」に通い、家では薪の火起こしや保存食づくりも楽しそうに手伝うという。そうやって子どもたちの話をする瞬間も、官僚として話をする時も、同じようにやわらかな表情を見せる中島さん。この裏表のない人柄が、赴任直後から地域にとけ込み新たな仕組みを築き上げる際、きっと役立ったに違いない。

 

 「信頼関係をつくるために、仕事以外のお付き合いも確かに大切でした。その点で女性はコミュニティーに馴染みやすく、有利だったかもしれませんね」 

 

 照れもせず、謙遜もせず、まっすぐにそう答える真面目さもまた魅力だ。

 

地方自治体と中央省庁。八ヶ岳と霞が関。互いの経験が活きてくる

 今年春から環境省に戻り、自然環境局総務課で課長補佐を務める中島さんの現在の仕事は、日本はもとより国際的な自然環境保全全般を統括する業務だ。少し畑は違うが、長野県で初めて経験した地方自治は今後の中島さんの働き方にも影響しそうだ。

 

 「地方の仕事は目の前に課題があり、それを現場の人たちと解決していく楽しさがあります。財政的には非常に厳しいのですが、そのなかで一体になり取り組む充実感も他に変えがたいものがある気がします。国の仕事は現場からは遠くなりますが、地方が動きやすいよう仕組みを整えていく仕事で、違ったおもしろみがあります。両方を経験したことで、地方の細かいニーズにより配慮した仕事ができるようになるのではないかと思っています。環境省に戻ったいまも何らかの形で長野県や他の地方自治体と関わりがあるので、今後もサポートを続けていくつもりです」

 

 プライベートでも環境配慮ド真ん中の暮らしを実践している中島さん。霞が関と八ヶ岳を往復する暮らしは、この先もずっと続きそうだ。

 

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    八田健一郎 (日曜日, 27 10月 2013 19:48)

    中島さんが、自然環境にやさしい日常生活を実践されながら、その実践中の生活と軌を一にする勤労生活をも送ってらっしゃる姿に感動しました。持続可能な社会のあり方にもっと近づけられるように、ご活動の輪を広げられるように引き続きご活躍に期待します。私も、いろいろな矛盾のある社会の一隅から繋がっていけるよう、精進したいと思います。

  • #2

    nakajimayu (木曜日, 31 10月 2013 02:52)

    八田様、コメントをいただきありがとうございます。とても励みになります。私たちエコロジーオンラインも、社会や環境に貢献なさっている方々を様々な形でご紹介し続けていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

«一つ前のページへ戻る