
エコロジーオンライン創立25周年を記念してスタッフが上岡理事長にスペシャルインタビューを敢行。
これまで語られなかった活動秘話から地球への思いまで、今後の展望も含めてすべてを語っていただきました。
カリフォルニア州でエコロジー運動に出会う

———上岡さんが25年の長きに渡り、地球環境問題に取り組んでこられたことで、社会にどのような変化がもたらされたと感じていらっしゃいますか。
これまでの活動を通じて、社会の変化を実感しています。
遡れば、ソニーミュージックを退職したのは1991年のこと。現在に至るまで約35年の歳月が流れました。
自分がアメリカに留学していた頃は、平和運動やエコロジー運動が活発に行われていました。特にカリフォルニア州は、全米の中でも環境問題に対する意識が高い地域でした。
しかし、バブル経済が崩壊した当時の日本では環境問題への関心は薄く、問題意識を持つ人も少ない状況でした。
カリフォルニアではすでに環境に対する様々な取り組みが始まっていたので、そのギャップに驚いたことを覚えています。
「普通の人のエコロジー」誕生

約1年半のアメリカ生活を経て帰国後、日本で環境運動を推進するため、自分に何ができるのかを模索する日々が続きました。
そして、アメリカや日本での様々な方との出会いを通して、環境と身体の健康は密接に関わっているという考えに至りました。
アメリカでも東洋的なディープエコロジーという考え方が存在しましたが、日本ではまだ浸透していませんでした。
そこで、鍼灸や東洋医学といった分野から環境問題にアプローチすることを考えましたが、当時はまだ、環境問題と身体の健康を結びつけるという発想を持つ人はほとんどいませんでした。
週刊プレイボーイの編集部から仕事の依頼を受け、仙台から栃木に拠点を移し、ライターとしてエコロジー、IT、音楽の分野の執筆活動を始めました。
環境に興味のある方々にご協力いただき、エコロジーオンラインの前身となる「普通の人のエコロジー」というホームページを立ち上げ、自分もライターとして参画しました。
やがて、その活動がエコロジーオンラインへと発展していくことになります。
「上岡さんの時代が来るかもしれない」

当時、環境問題はまだ新しい分野であり、関心を持つ人も限られていました。
90年代後半には、ロッキング・オンの関係者から「上岡さんの時代が来るかもしれない」と言われたことがあります。ジブリ作品を見て育った世代が編集部に入ってくるようになり、裏紙を使うなど、環境に配慮した行動を取る人が増えてきたからだそうです。
それから月日が経ち、環境を巡る状況は大きく変化しました。
今日では温暖化という言葉は当たり前になり、気候変動、気候危機といった言葉が生まれ、ビジネスの世界でも環境問題を無視することはできなくなりました。
このような変化を目の当たりにし、活動を続けてきたことの意義を改めて感じています。
また、エコロジーオンラインのような活動が、クラウドファンディングのような新しい手法を取り入れ、若い世代によって発展していくことを頼もしく思っています。
EOL編集部 : ありがとうございます。今後の企業や行政は、地球に対しどのような姿勢で臨むべきだとお考えですか。
(3/3に続く)