カテゴリ:ソシエコ


13日 1月 2012
Facebookはみんなでほめあって気持ちが悪い─。 正月明け、Twitterを眺めていると、こんな意味のつぶやきを発見しました。最近IT企業では、上司が近況を投稿すると、先を争って「いいね!」ボタンを押す傾向が強いらしく、ひょっとしてこの人はそうした使われ方に違和感を感じたのかもしれません。...
07日 1月 2012
ソーシャルメディアを知らないとつながれない5年後の未来! ソーシャルメディアを使ったマーケティングをわかりやすく表現するなら、巨大なネットの力で拡大される“口コミ”と言えます。ここ数年、この『力』によってアメリカに歴史上初の黒人大統領が誕生し、中東各国の独裁政権が次々と倒れてきました。...
17日 10月 2011
「地球規模の気候変動が、タイ南部で起きているかつてない洪水被害に大きく関係することは確かなことです。こうした気候関連の災害をこれまであまり目にしたことがないのです」 今年4月、タイで開催された2011年国連気候変動バンコク会議において、タイ政府の交渉担当者がこんな発言をしている。
02日 10月 2011
10月1日、栃木県佐野市中央公民館で実施された田中正造没後100年記念事業を進める会結成大会での菅井益郎国学院大學教授による記念講演の映像をご紹介します。 【記念講演】  <足尾・水俣・福島> ー甦る田中正造の警告「デンキ開ケテ、世見暗夜となれり」ー  福島第一原発事故の原因と原子力公害の脅威  ・講師 菅井 益郎(國學院大學教授)...
22日 9月 2011
環境NPOを手がけている仕事柄、様々な企業のCSR報告書を手にします。 多くの企業が、自社のCSR報告書を、かなり苦労してつくっていることは十分に理解しますが、こうした仕事をしていなければ、あまり読まないだろうな~と思う代物であることは間違いありません。...
14日 7月 2011
ホテルオークラ東京で13日、「パッシブデザインコンペ」が開催された。開く・繋がる・応答する形、という副題のついたこのコンペティションへの応募総数は517件。住宅、技術・製品、住まい手・ライフスタイルの3部門に分かれ、一次審査を通過した31件のなかから、大賞、優秀賞、佳作の作品が選ばれた。...
11日 7月 2011
菅首相が辞任と引き換えに成立を目指している再生可能エネルギー法案(*1)だが、温暖化防止の切り札と言われる再生可能エネルギーに関わる法案だけに真っ向から反対する人は少ない。現在、聞こえてくる批判は、電気料金が高くなるということくらいだろう。...
03日 7月 2011
 7月2日、Cool Earth Day 2011 in SANOという佐野市環境ネットワーク会議主催のイベントで「地球とお財布に優しい節電セミナー」を実施しました。60席が設けられた会場は満杯状態。「節電」に対する意識を高さを感じます。...
03日 7月 2011
 Facebookページが18を越えたというところで、前回のコラムが終わっていましたね。実際、自分たちの活動のために意見交換するFacebookグループにいたっては、20を越えるような状況までになり、このグループのなかから被災地支援の新しい取り組みが生まれました。飯舘村へのガイガーカウンターの寄贈、福島での放射線能関連事業、仮設住宅に国産材を活用する事業など、すごく活発に動いています。  飯舘村へのガイガーカウンターの寄付は、Facebookセミナーで出会った友人が呼びかけたガイガーカウンターの情報に、シンクタンクの仲間が反応して寄付の実施までにたどり着きました。また、岩手支援に旅だったスタッフは、日々の情報をFacebookのページにアップし、それをエコロジーオンラインのウェブに公開。それを見た北海道のボランティア希望の方との交流が始まり、自然にボランティアをコーディネートすることにつながります。  3・11以前はどのようにソーシャルメディアを活用するかに悩むこともありましたが、被災地の支援が大きなテーマとなった大震災以降、ソーシャルメディアは大車輪の活躍です。それぞれのグループに関わった個人が、地域の境界を越え、企業の壁を越え、世代の枠を越え、見事につながっていきます。ソーシャルメディアというフラットな「地平」に、被災地支援という「御旗」がたったことで、Facebookの様々な機能がひとつに収斂していきました。  福島原発事故では、大手メディアが伝える情報よりも早く、深い情報がTwitterで流れました。そのなかには、怪しい情報も入り込んだわけですが、そうした情報も多くの人に読みとかれることで、自浄されるような光景も目にしました。やはり今回の脅威だったのは、そんなソーシャルメディア的混沌より、後手後手に回る政府、東電の情報公開に感じた「隠蔽体質」でしょう。当然、ソーシャルメディアでは「隠蔽体質」の背後にある力を明らかにする情報がどんどん集積していきます。そして、政・官・業・学・メディアに張り巡らされた利権のネットワークの存在が徐々に明らかになっていきました。変わらないと言われた中東でも同じような状況のなかでいくつかの独裁に終止符が打たれました。日本のソーシャルメディア型市民運動がターゲットとするのはこの利権ネットワークの分断であることは間違いありません。今後も大きなうねりが続くことでしょう。  こうした変化は、企業のCSRの世界でも、大きくブランドを変革する可能性を持っています。マーケティングの神様フィリップ・コトラーが「マーケティング3.0」で、ソーシャルメディアの到来によって大きくマーケティングの世界が変わったと書いています。ソーシャルメディアの世界において、企業が相手にするのは「消費者」ではなく、社会性をともなった「人間」そのものであると。彼によれば、マーケティングによって消費者志向の商品を生み出す時代は終わり、ソーシャルメディアを通して消費者と協働してブランドをつくっていく企業の姿を伝えています。まさにCSRが企業活動の中核へと進化するのです。今回の現象のなかでこの力をうまく使ったのが孫正義氏でしょう。彼がソーシャルメディアとの出会いで体得したのは市民と一緒にソフトバンクという会社のビジョンを大きく変容させることだったのだと思います。  お~っと、エコロジーオンラインの窮状を語ったつもりが、ソーシャルメディアによって変化し始めた社会の話題へと、移り変わってしまいました。ただ、こんな風にソーシャルメディア社会を俯瞰してみると、エコロジーオンラインが経験して来たことも、一極集中型の社会から、分散型の社会への産みの苦しみであったのかもしれないな~と思えてきます。人も、マネーも、エネルギーも、情報も、企業も、政府も、フラットな地平で、分散し、時に応じて集積し、また分散する。そんな時代が到来したのかもしれません。まあ、そんな変化の前では国のトップが漂流するのは当たり前のことかもしれない。 そして一方、私たちは福島原発の事故によって大きな負の遺産を背負いました。これまた旧来型の統治システムでは解決は不可能な現実を見せつけられ続けています。現場にどう柔軟にアジャストしていけるのか、行政にとっても、企業にとっても、NPOにとっても、個人にとっても、大きく試される時代になったということだと思います。  これをとんでもない社会になったと思うか、新しいシステムが動き始めたと思うかは、みなさんのとらえ方次第だと思います。エコロジーオンラインもこれまでの固定観念を捨て、現場を曇りのない目で見つめて動いてみようと思っています。今後とも拙い取り組みですがサポートをよろしくお願いいたします。 前の記事|次の記事
27日 6月 2011
 ここ数年、エコロジーオンラインの活動の主役は、スタッフや読者の皆様と考えたところから、代表としての発信をなるべく控え、縁の下の存在として事業系の発信を中心に動いてきました。しかし、リーマンショックや民主党政権の誕生、東日本大震災と、私たちを取り巻く環境が大きく変化し、栃木という「地域」に拠点を置くエコロジーオンラインの活動も大きく変化せざるを得ない状況となりました。  現在の縁の下からの情報発信では、読者はおろか、世界的なITネットワークでつながった仲間たちともも、エコロジーオンラインの変化や、変化を生み出す背景にある社会的な潮流などについて、自分らの思いを伝えきれない状況と判断し、ブログという形で活動の整理や自分たちに影響を与えているか政治経済の変化などの検証も兼ねて情報発信をして行くことにしました。  エコロジーオンラインでは、ひさしぶりの自筆原稿であるため、しばらくこなれない文章が続くと思いますが、しばらくご辛抱ください。  さて初回、エコロジーオンラインの現状について、ちょっとお話をしておこうと思います。  エコロジーオンラインは2000年、「普通の人のエコロジー」というプロジェクト名のもと、週刊プレイボーイやロッキグオン「H」という雑誌に書いていたエコやITの原稿を手直しして、自分ひとりでウェブ化したところに端を発します。  そのタイトルが示すように、「普通の人」に地球環境の危機を伝えたいというのが、自分が最初に考えた「ミッション」でした。その「ミッション」を具現化するために活用したのが、ホームページやメールマガジンののITツール、そして、音楽やキャラクターというエンターテインメントのコンテンツです。前者の流れからは環境省や東京都、毎日新聞やネット企業などとの協働事業が生まれ、現在のソーシャルメディアの活用へとつながっていきます。そして後者の流れからは、「そらべあ」という日本初の環境専用キャラクターが生まれ、「そらべあ基金」という別法人が盛んに活動をしています。  ここ数年は、自分らも立ち上げに関与した「チーム・マイナス6%」という国民運動や、それが発展した「チャレンジ25」など、エコロジーオンラインがターゲットにした「普通の人」へアクションを呼びかける活動が盛んになり、エコロジーオンラインの最初の「ミッション」については、日本における先導役として、十分に機能を果たしたとの感触があり、そろそろ役割が終わりに近づいたという感じを持っていました。そこで次のステップとして考えたのがイオルインターナショナルの創立でした。  この団体は日本から海外へと視野を広げ、南アジアやアフリカで、地球環境問題の普及啓発をして行くことを考えました。(それは今も変わってはいないのですが。。。)そして自分はエコロジーオンラインの理事長を下り、イオルインターナショナルの代表理事に転じます。  エコロジーオンラインがそうした変貌を遂げようとした同時期に、リーマンショックや民主党への政権交代が起きます。自分らが一緒に里山再生を手がけていた一部上場企業がリーマンショックによって破綻し、民主党政権が導入した事業仕分けによって、自分たちの仲間の再生エネルギー分野の事業者たちのビジネスモデルが大きな影響を受けることになります。そこに追い打ちをかけたのが今回の東日本大震災。自分としては卒業したはずだったエコロジーオンラインの屋台骨が大きく揺らぎ、スタッフの多くに経済的な影響が色濃く出始めます。  本当なら被災地支援に手を出せる余裕などありません。しかし、太平洋岸の甚大な津波被害に続き、福島第一原発のメルトダウンと、未曾有の事態を目の当たりにしてNPOが動かないわけに行きません。ソーラーパワートラックの派遣や被災地への楽器の提供、仮設住宅への国産材の活用、福島へのガイガーカウンターの寄付などの事業が動き始めます。それぞれの支援事業の経済性を考えるのは先送りすることで、とにかく多くの支援を手がけることとなりました。それらの活動をやる原資は手元にありませんし、新たに情報発信用のウェブをつくっていく体力もありません。結果、無料サービスであるTwitterやFacebookを積極的につかっていくことにつながりました。その結果、生まれたFacebookページは18を越えることになりました。 次の記事

«一つ前のページへ戻る